今週は個人的にいろいろ多忙でした。一段落付いて、ちょっとほっとしているところです。
引き続き、龍野の紅葉写真を紹介します。

まさに深紅。秋から冬へと移りつつある空の色とのコントラストが秀逸。

谷間にて。様々な色が折り重なる様もまた見事です。

小径を覆う黄葉のトンネル。

谷を出て、遊歩道沿いの大木を。
恵まれた天候と相まって、満足度の高い散策でした。
たつの市を南北に貫くように流れる揖保川。龍野公園は現在のたつの市街地西の対岸に位置します。

うすくち醤油のトップブランドとして知られるヒガシマル醤油。工場が揖保川に面して立っています。だし入りの「ヒガシマルめんスープ」、我が家では汎用調味料として重宝しています。
カエデのことを「紅葉」と書いてもみじと呼びます。古来、春は「花」といえば桜を指すように、山を赤く染めあげるカエデは秋を代表する風物詩といえます。鮮やかさで目を引き、かつけばけばしくない。これもまた、日本人好みな風景です。
昨年12月1日、兵庫たつのの龍野公園に行きました。時期としてはやや遅めですが、素晴らしい紅葉に巡り会うことができました。

やぐらの白壁がもろに白飛びしているのが残念ですが、青空がとても爽やかです。ここから、その名も「紅葉谷」へと入って行きます。

紅葉はやはり、こうして陽に透かすようにして見ると映えます。

こちらは「黄葉」。谷間にスポット的に射す光も良い演出。

見上げると、見事なグラデーション。いろんな角度から楽しめます。
続く。
鉄道旅行のサイトを開設して10年になりますが、この間に大きく変わったのが、「動画」を公開する環境です。
このあたりの話は、
ワイラインワークスのBLOGに任せたいと思いますが、これにより、従来表現しきれなかった、流れる「車窓」や「音」が容易に表現できるようになりました。
1995年に、私はビデオカメラ(ハイエイト)を買いました。「カメラはフィルムのコマ数しか記録できないが、ビデオならテープの時間分、いろんなものを記録できる」。ある人がこんな事を言っていて、それがきっかけとなりました。なので、一眼レフ(フィルム時代のEOS Kiss)より前に、既にビデオカメラを持っていたのです。
現在では、過去の分を含め、ビデオ映像はデジタル化し、動画編集もそのデータを使って行っています。この蓄積があるので、私の動画作品はほとんど自前で、著作権を気にせず公開できます(笑)。
私の趣味に関していえば、ビデオを使うことにはもうひとつのメリットがありました。それは「音」を記録できる、という点です。
あまり話題になることがありませんが、列車ならではの味は、「音」にこそあるのではないかと思います。線路の継ぎ目を踏む「タタン、タタン」という規則音。駅のポイントなどにさしかかると、それが一時乱れて、アクセントとなります。
もう乗る機会もほとんどなくなりましたが、夜行列車に乗っていると、目が覚めるのは大抵、列車が駅で停まっている時でした。あの規則音は、適度に眠りを誘うサウンドなのだと思います。
そこに、電車ならモーター、気動車ならエンジンの音が重なります。この音も、古い車両ならアナログ的、新しければメカニカルで、それぞれの味わいがあります。非力な旧式ディーゼル車が上り坂にさしかかると、エンジンは頑張って回っているのに、スピードは一向に上がらないというギャップが面白く、思わず応援したくなります。
かつてビデオで撮ったものの中には、すでに廃車になった車両もあります。ですから、もう実物は二度と聞けないサウンドもあります。写真で姿を残すのは比較的容易ですが、その場の「空気」に近いものを保存できるのは、音を伴う映像ならではです。最近では特に、この「記録」という面を意識して撮影する機会も増えています。
たとえばこれ。昨年9月に撮影したものですが、この車両はその11月に引退しました。動画はほぼひたすら、車内からの映像をまとめたものです。
こういうのは、自己満足の意味合いが強い記録だと思います。結局のところ、これは自分自身の実体験があってこそ意味を帯びるものであり、人に見せるためというよりは、自分が振り返るための作品に思えるからです。とはいえ、たとえばこの路線を毎日利用していた人が、動画を見て懐かしむこともあるかもしれません。それはまさに、「音」と一体になった、列車の思い出なのです。
「ニコニコ動画」にはしばらく動画をアップしていなかったのですが、最近、「迷列車列伝」として、作成した動画を上げています。
ぼちぼち紹介したいと思いますが、今回はこれ。
→
ニコニコ動画(要アカウント) JR西日本の誇るローカルの星、キハ120です。これは、
「トラベラーズ ノート」中の同名Flash動画の実質的なリメイクです。Flash作成時にはなかったトイレが設置されるなどの変化がありますが、基本的には変わりがありません。
この「列伝」は、「面白くて、やがて哀しい」がモットーです。突っ込みどころが多い(それがまた、JR西日本に集中している)列車たちですが、そこにも珍車なりの物語があるのです。そのあたりを、ユーモアと、ちょっとした皮肉を込めながら描きたいと思います。
先日(約1週間前)、東京にいる妹に娘が生まれました。両親にとっては初孫、私にとっては姪にあたります。
生まれた当日に早速、写メールで写真が届きました。数日後には目の開いた写真が来て、「もう整った顔をしている」とは父談。我が家ではプリントアウトして壁に貼ってあります。ラブリーです

←絵文字はこのBLOGを始めて以来初めて使いました。
というわけで今、母が世話のために東京入りしているのですが、写メールが届いた後、我が家のアルバムを見る機会がありました。プライベートな部分はさておきますが(笑)、気づいたことがひとつ。
両親は九州出身で、どちらも高卒後関西に来ています。そのころ(昭和40年代後半)の写真はまだ白黒メイン。たまにカラーがありますが、かなり退色した感じです。もともと、さほど良い発色ではなかったのかもしれません。
私が生まれたのが昭和50年(1975年)ですが、このころになるとほぼカラー写真ばかりになります。当時は、フィルムも現像料もかなり高かったそうですが、その割には結構な枚数が残っています。第一子ということで、張り切って撮ったのでしょう(笑)。ただやはり、あまり色はよくありません。
その後、妹、弟と生まれて1980年代。このころになると写真の発色は格段に良くなっています。つまり、その10年ほどの間に、写真の技術は大幅に進歩したことになります。特に、モノクロからカラーへの変化に勝るインパクトは、なかったのではないかと思います。
70年代のそれを第一次写真革命と呼ぶとすれば、この2000年代の変化は第二次写真革命といえるでしょう。ひとくちにいえば、モノクロからデジタルへの変化。
出始めのデジタルカメラは、テレビの画面を写真に撮ったような粗さでしたが、今や携帯電話のカメラでも、L版プリントくらいは余裕でできるレベルに達しています。
「十年の旅百景」は、デジタルカメラの進歩の歴史でもあります。

「百景」の中では、↑写真が、デジタル第一号。2002年の正月です。

そして↑が、フィルムで撮影した最後の写真。2007年1月。実質この5年間で、私の写真は、アナログからデジタルへ移行したことになります。デジカメの性能が向上したせいもありますが、ウェブサイトでの公開など、デジタル媒体に向いているのはやはりデジタルデータであり、こうした用途が増えたこともその一因です。
そしてデジタル化による最大の変化は、画像が瞬時にやりとりできる、ということでしょう。東京で生まれた子どもの姿を、その日のうちに兵庫で見られるとは、以前なら考えられなかったことです。
昔より気軽に、写真や動画が残せるようになり、妹夫婦もきっと、張り切って子どもの成長を記録してゆくことでしょう。
| ホーム | 次のページ