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トラベラーズ ノート まくら木日記

日記・雑記・駅々めぐり。

駅#090 鎧駅

よろい:JR山陰本線

  山陰本線で香住を出て、浜坂方面へ向かうと、高さ40m超の余部橋梁に向け、トンネルを出入りしながら登りの一途となります。この区間は、出入りの激しい海岸から切り立つ崖がそそり立つ「リアス式海岸」の特色が強く、線路敷設の苦労が偲ばれます。

  その途上にあるのが、鎧駅です。

鎧駅舎(10.10.18)
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  無人の駅舎はコンクリート製のシンプルな建築。駅は高台に位置し、駅前には数件の民家が密集していますが、集落そのものは、駅から東側へ下った谷間の入り江に向けて続いています。

  鎧駅には向かい合う2本のホームがあり、駅舎が建つのは内陸側の2番線、その向かいが1番線。ホームは地下道でつながっています。この駅の特徴は、この1番ホームの側にあります。

1番ホームから海を望む(10.10.18)
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  そのホームは展望台のようになっており、日本海と、鎧集落の入り江を望むことができます。

雪の積み上がったホーム(05.12.26)
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  この外海は奇岩の連なる「香住海岸」、その中に「鎧の袖」とよばれるものがあるようです。遊覧船に乗らなければ、その実物を見ることはできませんが、「鎧」の駅名もそこから来ているのでしょう。

「釣鐘洞門」の案内石碑(10.10.18)
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  ホームには、年季の入った石碑が。「餘部村」が立てたもので「天然記念物 釣鐘洞門 西北海上三十町」(30町=約3.3km)とあります。釣鐘洞門は余部埼灯台のある場所に近く、今の最寄りは餘部駅となりますが、おそらくこの石碑が立ったのは、餘部駅開業(1959年)前のことでしょう。餘部駅ができる前、余部集落の人々が列車を使うときには、橋梁とトンネルを通って鎧駅まで歩くという、今では考えられないようなことをしていたようです。

荒れた様子が遠目にも判る冬の日本海(08.12.31)
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  このとおり冬の日本海は荒海で、波打つ轟音が谷間に響きます。

入り江の漁村(08.12.31)
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  外海から防波堤で仕切られた入り江。そこに身を寄せ合うかのように民家が並びます。恐らく皆が、漁業で生計を立ててきたのでしょう。鉄道や道路ができるまでは、ほぼ陸の孤島だったと思われます。山陰海岸には、こうした大小の漁村が点在します。

  さて、鎧駅はホームが2本あるとおり、もともと入れ違い可能な駅でした。私が初めてこの駅で下車した2004年には、下りが2番線、上りが1番線を使用し、完全に区別されていました。ところが、列車が減少し、合理化のためと思われますが、JRはこの駅の交換設備を使うのをやめてしまいました。2008年に訪れた時点で、上り下りとも2番線(駅舎側)からの発着となっていました。

  そして先日。見ると、1番線の線路には枕木の車止めが置かれており、線路の撤去にこそ至っていないものの、完全に閉鎖された状態になっていました。

香住から坂を登り、鎧駅を通過する特急「はまかぜ」(04.5.3)
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  2004年、左側の1番線がまだ生きていた時。

餘部方面に向けて、トンネルに入って行く「はまかぜ」(10.10.18)
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  そして今年。使われなくなった1番線には枕木が載せられ、レールは赤く錆びています。

  このように山陰本線の盛衰を物語る鎧駅ですが、1番ホームには今も、地下道を介して出入りできるようになっています。
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駅#088 浜坂駅

はまさか:JR山陰本線

  山陰本線を京都側から辿ると、兵庫県内の主要駅としては最も鳥取寄り、近畿の北西の果てといえる位置です。もとは浜坂町の中心駅でしたが、湯村温泉で名高い温泉町との合併により「新温泉町」の一部となりました。合併後の地名にはいずこも苦労の跡がうかがえますが、末永く使うべき地名に「新」を冠してしまっては、数十年後に一体どうするのかという気もします。

浜坂駅舎(08.12.31)
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  山陰の中規模駅としては典型的なスタイルの鉄筋平屋。駅前には、ありがちな顔出し看板がありますが、見ての通り「カニ」です。城崎温泉、香住、そして浜坂と、北兵庫の町々は冬場はカニを売りにしています。しかしこれらの中でも、浜坂は特に「寂れている」との印象が否めません。

  もともと山陰本線は、「裏街道」ながらも一本の軸として、それなりに幹線としてのステータスを有していました。東京からの寝台特急「出雲」、京都からの特急「あさしお」、大阪からの「まつかぜ」「はまかぜ」。これらの特急が浜坂を介して鳥取、米子へと結ぶ役割を果たしていました。手元にある20年前の時刻表からは、まだそのような姿がうかがえます。浜坂もその拠点のひとつでした。

  しかし、城崎までの電化、鳥取へのバイパス線である智頭急行の開業などにより、城崎から先の区間の存在意義は薄れ、今や浜坂に至る特急は「はまかぜ」2往復だけになってしまいました。衰退の一因になった余部鉄橋は、この8月に架け替えられ、風による運休は大幅に減るとみられますが、時既に遅しの感があります。

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  最近ではあまり見られなくなってきた、パタパタ式の発車案内装置が健在。電光式にはない味があります。同種の表示器は香住駅にも残存し、これが特急停車駅なりのステータスだったのだろうと思われます。

豊岡方面行き(左)と鳥取方面行き(右)の接続(04.5.3)
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  ホームは2面3線。この駅は、列車運用の境界にあたり、普通列車はすべて東西で乗り換えとなります。上の写真のように、ホームを別にした乗り換えになる場合もあり、その場合は地下道を通って移動しなければならず、不便を強いられます。このあたりは何とか工夫して頂けないものかと・・

駅脇には給水塔も残る(08.12.31)
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  私が初めて浜坂駅を訪ねたのは1994年10月のこと。駅から西へ歩いて20分ほどの、浜坂ユースホステルに宿泊しました。(ユースホステルについては、また何かの機会に扱いたいと思います。)その後も2001年、04年、08年と、何度か浜坂に立ち寄っていますが、残念ながらやはり、来る毎に寂しくなっているなという印象を受けます。(理由は定かではありませんが、浜坂YHも現在休業状態のようです。→サイト)なかなか、あえてここまで足を運ばせるような「目玉」がないのが現実でしょう。それでも、自分にとっては印象深い土地のひとつであり、橋の架け替えを機に、何とかなってほしいなと思うところです。

駅#087 青木駅

おおぎ:阪神電鉄本線

  私が8才まで過ごした神戸・東灘。住所は魚崎でしたが、家の最寄りだったのは、阪神魚崎駅のひとつ梅田寄りの、青木駅でした。

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  駅自体は、線路の南北から地下通路に入り、改札を通って地上のホームに上がる構造でした。何度となく通ってきた、なじみ深い通路です。

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  日中は普通列車しか停まらない駅ですが、このように待避設備があります。昔はラッシュの時間の上り(梅田方面行き)だけ、急行が停車し、特急の通過待ちをしていた記憶があります。そんな光景も、鉄道好き少年には胸躍るものでした。ただし現在青木に停まる優等列車は、朝ラッシュ時に運転される当駅始発の上り区間特急のみ。かつて普通のみの停車駅だった隣の魚崎が、現在ではすべての列車が停まる要衝になったのと対照的です。

  現在、芦屋~魚崎間の高架化工事が進められており、写真の左側に仮のホームがあります。写真は2008年7月に撮影したものですが、翌09年春から仮線に切り替えられています。高架化の構想そのものは、私が神戸に住んでいたころからありましたので、約30年越しの実現ということになります。現在、武庫川~甲子園間の高架化も進められており、完成すれば芦屋市内を除いて、阪神本線のほとんどが立体化されることになります。嬉しい半面、なじみの光景が失われてゆく寂しさもあります。

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  駅前は下町然とした中にも一定の上品さがあり、思い出補正もあって落ち着きを覚えます。ただ、震災で駅前市場が全焼するなど、かなり変わってしまった部分もあります。駅が高架化されれば、また雰囲気も変わるのでしょう。

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  駅西側を流れる天井川。六甲山系から流れ下る川は、ひとたび大雨となると一気に流れ下り、昔から水害をもたらしてきました(灘区の都賀川の悲劇は記憶に新しいところです)。このためこの川を含め、普段の水量の割にかなり深く掘りこまれています。幼少のときは、川とはこういうものだと思っていたので、よその場所の平たい川原がかえって不自然に思えたものでした。この橋の風景も馴染み深いものでしたが、背後の阪神高速の高架も震災後に大きく様変わりし、景色はだいぶ変わりました。

駅#086 有馬温泉駅

ありまおんせん:神戸電鉄有馬線

  1928年、当初有馬温泉への観光列車として開業した神戸電鉄の終点。のちに三田方面への直通が主体になったため、現在では有馬口~有馬温泉間が支線のような存在となっており、神戸市街と温泉地を結ぶという性格は薄れています。それでもシーズンには、多くの観光客がこの駅を利用します。

  有馬温泉は日本最古の温泉とされ、多くの貴人や文化人に愛されたといいます。特に太閤・豊臣秀吉は有馬が大のお気に入りで、たびたび訪れたとのことです。

  そんな由緒ある温泉街の玄関口となる有馬温泉駅。有馬口から山の中を単線の線路で進んできて、トンネルを抜けるとそこにホームがあります。立地的に限られたスペースの中に設けられた4両分ぎりぎりの狭いホームから、列車が折り返してゆきます。

ホームの先は切り立つ山
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  駅舎も、小さいながら鏡張りの粋な建物で、2000年には近畿の駅百選・第一回の25駅のひとつに認定されています。(神鉄ではこのほか、第三回で粟生線恵比須駅が選ばれています。)当初「神戸有馬電気鉄道」を名乗った神戸電鉄のルーツとして、やはりこのあたりは力が入っているようです。

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  駅前はすぐに道路となっており、その間にぎりぎり設けられた発着スペースに、タクシーや旅館の送迎車などが半ば無理矢理乗り入れてきます。温泉街の宿命で周辺道路は狭苦しく、人や車の往来も激しいので、慢性的に混雑しています。

川の両岸に温泉街が続く
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  かつて有馬には父の会社の保養所があり、家族で何度か来たことがあります。当時自家用車はなかったので、有馬温泉駅まで電車に乗って、そこから結構な距離(子どもの足なのでそう感じたのかもしれませんが)を歩いた記憶があります。土産物屋で買ってもらった、炭酸せんべいの割れせん袋詰めが懐かしい・・。

  駅近くの交差点の脇に、噴水の広場があります。この噴水は水の裏に回れる構造になっており、20年以上も前にそこで撮った写真が残っています。

噴水そのものは今もそのまま
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  この広場の隅には、温泉街を眺めるかのように、太閤の像が鎮座しています。

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駅#085 広野ゴルフ場前駅

ひろのごるふじょうまえ:神戸電鉄粟生線

  兵庫県三木市に位置する駅。「ゴルフ場」の名を付した駅というのは、全国でも珍しいのではないでしょうか。

  神戸電鉄粟生線(鈴蘭台~粟生間)の前身となった三木電気鉄道が、1936年に最初に開通させたのが、鈴蘭台からこの広野ゴルフ場前までの区間。つまりここは当初の終着駅だったわけです。(1937年末に現在の三木上の丸まで延伸。)その数年前に広野ゴルフ倶楽部が開業しており、まさにそのために引かれたような路線でした。ここは超名門、完全会員制でプロも憧れる由緒あるゴルフ場なのだそうです。(こうしたネームバリューもあってか、東播磨はゴルフ場の非常に多い地域です。)神鉄緑が丘駅からこの駅にかけて、南側に続く森がその敷地です。

  現在では小さい駅舎を構える何の変哲もない無人駅ですが、県道を隔てた正面に、そのゴルフ場の門が構えています。今になって、電車で訪れる人はいないと思いますが、確かに「ゴルフ場のための駅」だった雰囲気があります。

駅舎
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正面のゴルフ場。貴人の屋敷にでも入るかのような雰囲気
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  駅としては、交換可能な島式ホーム。志染(しじみ)までの増発のために入れ違える構造になりましたが、現在その本領が発揮されるのは、朝のラッシュ時だけとなっています。

駅を出る列車
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  その過程は、粟生線の歴史の縮図ともいえそうです。