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トラベラーズ ノート まくら木日記

日記・雑記・駅々めぐり。

#014 宮崎駅

JR日豊本線

  写真を見ると、一見立体駐車場のように思われるでしょうが、これが夜の宮崎駅の外観です。駅そのものは、地方都市にありがちなスタイルの高架駅ですが、原色多用・奇抜なデザインという「JR九州イズム」がここにも見られます。
  この駅を訪れたとき、晩の長い時間を手持ちぶさたに過ごすことになりました。しかしこの駅には、待合室のようなスペースがなく、コンコースのベンチで座っていたものの、落ち着かなくて退散した経験があります。諸事情から独立した待合室はなくなってゆく傾向にありますが、こうしたときには困りものです。
  延岡・大分方面への特急「にちりん」「ひゅうが」、鹿児島方面への特急「きりしま」のほか、日南線や宮崎空港線への列車も発着。ただし、延岡方面から宮崎を介して鹿児島方面へ直通する特急はなく、普通列車もごく一部です。かつては、日豊線まわりで博多~大分~宮崎~西鹿児島(現鹿児島中央)を、実に8時間以上かけて直通する特急「にちりん」もありました。しかし現在では、日豊線特急の運用は大分(別府)、宮崎(南宮崎)でほぼ分断されており、近畿へ直通する寝台特急「彗星」も廃止されました。
  福岡へは高速バス、九州外へは飛行機、そして鉄道は周辺都市間の輸送にあたるという住み分けが明確になったのでしょう。

夜の宮崎駅(00.5.4)
宮崎

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#013 南宮崎駅

JR日豊本線/日南線

  宮崎駅から鹿児島方面へ1区間。日南線が分岐します。日南線からはさらに宮崎空港へ向かう路線が分岐するので、宮崎~南宮崎間の運転の密度は宮崎県内で一番です。なお、宮崎~南宮崎~宮崎空港間は特急でも乗車券だけで利用できる特例区間です。
  また、南宮崎には留置線も備わり、宮崎を発着する列車の運用拠点ともなっています。大分方面と宮崎を結ぶ特急「にちりん」の一部が南宮崎発着となっているほか、宮崎まで足を伸ばしていた時代の寝台特急「富士」や、2005年に廃止された寝台特急「彗星」も、この駅を起点・終点としていました。

留置線に待機する、485系特急車両など(00.5.4)

南宮崎

#012 宮崎空港駅

JR宮崎空港線

  着陸機がすさまじいスピードで滑走路に突入する姿が、ホームから間近に見られたのは、さすが空港駅の醍醐味。駅は空港と一体化しているのかと思いきや、改札を出ると階段を下っていったん外に出、改めて空港の建物に入るかたちとなっており、ちょっと不便。せっかくなら、建物自体をつなげればよかったのに。(00.5.4)

  新千歳、成田、関空、そして宮崎。この4空港の共通点は、JR線が直結しており、その名のとおりの駅が存在することです。日南線田吉から分岐する宮崎空港線は、滑走路を見ながら、わずか1.4kmで宮崎空港駅に達します。この1.4kmというのは、JRのいち路線としては最短の距離です。

  他の3駅が空港の地下に入る格好なのに対し、この宮崎空港駅は高架駅で、空港の建物とは別棟となっているところが他と異なっています。(写真は駅ではなく、空港の建物です。)

宮崎空港の建物(00.5.4)
宮崎空港


  乗り入れるのは主に、延岡方面からの特急と普通列車。宮崎~宮崎空港間は、特急券なしで特急に乗ることの出来る特例区間です。ただし、宮崎空港線そのものに、加算運賃120円がかかります。

#011 飫肥(おび)駅

JR日南線

  飫肥の街は、こじんまりとしたなかにも城下町のまとまりがあり、散策していると落ち着く。路地に入ると側溝を鯉が泳いでいたり、かと思えば南国風の植物が植わっていたりと、どこか異国的な雰囲気もある「小京都」だった。(00.5.4)

  宮崎から日南線で一時間強。飫肥駅は丘陵に囲まれた小都市・飫肥の端に位置します。飫肥は、もと飫肥藩五万石の城下町。伊東氏と島津氏の百年余にわたる争いの末、伊東氏が配下に収め、「九州の小京都」とよばれる町並みを作り上げました。

  そんな飫肥の町には、「小京都」といいつつも、なんとなく沖縄に近いような、独特の雰囲気が漂います。駅舎も白壁瓦葺きながら、形状に特徴があります。

  「おび天」と呼ばれる、魚のすり身をベースにした天ぷらが飫肥の名物。鹿児島には薩摩揚げがあり、私にとっても馴染み深いのですが、おび天は薩摩揚げよりも魚のざらざら感が強く、甘めの味付けです。

  ちなみに飫肥は、明治の外交官として有名な小村寿太郎の出身地だそうです。

夕刻の飫肥駅舎(00.5.4)
飫肥


分かりにくい写真ですが・おび天と薩摩揚げ
飫肥2

#010 吉松駅

JR肥薩線/吉都線

  八代から人吉、吉松を経て隼人に至る肥薩線は、本来鹿児島本線として明治42年に開業しました。人吉~吉松間は、ループ線やスイッチバックを駆使しての険しい山越え。昭和2年に水俣・川内経由の海側ルートが開通したことによりメインルートから外れましたが、鉄道の歴史を語る上では貴重な存在です。

  一方日豊本線も当初は、都城から小林経由で吉松に達し、昭和7年に霧島神宮ルートが開通するまでは現在の吉都線が「日豊本線」を名乗っていたそうです。つまり吉松は、九州を囲む2つの主要幹線が合流する要所だったのです。

往時の拠点の名残を残すホーム(92.8.10)
吉松


  今となっては、不必要に長くて立派なホームにその名残をとどめるのみですが、2004年の九州新幹線開業と同時に、鹿児島中央~吉松間に特急「はやとの風」がデビュー。矢岳越えの列車「いさぶろう/しんぺい」と接続が図られ、吉松駅には観光列車の拠点としての新たな意義が付されることとなりました。

吉松駅を出る「しんぺい」号(06.7.31)
吉松2

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#009 新八代駅

JR九州新幹線/鹿児島本線

  九州新幹線の開通と共に開業した駅で、現状同新幹線の「起点」。博多側から順にではなく、新八代~鹿児島中央を先に作ったのは、八代以南の在来線が山がちな線区で、短縮効果が高いという理由に加えて、先に先端部分を作っておけば手前も確実に作ってもらえるだろう、という政治的な思惑もあったのでしょう。


新幹線駅工事中の様子(03.8.4)
新八代1


  おかげで、鹿児島までの時間短縮は図られたものの、この新八代で乗り換えを強いられることとなりました。全通までの暫定措置ですが、在来線の「リレーつばめ」と新幹線「つばめ」が同じホームで乗り換えられるようにして、乗り換えの負担を減らす配慮が払われています。(JR九州は、リレーつばめを「鹿児島中央行き」、つばめを「博多行き」と案内するなどして、この乗り換えをないもののように扱おうとしています。)

ホームから発着する新幹線「つばめ」(04.8.19)
新八代2


  下の写真は、新幹線ホームから熊本方を望んだもの。右が「リレーつばめ」の出入りする線路で、この先でもともとの鹿児島本線に合流します。一方、左が新幹線の線路。現状、営業列車がこの先に進むことはありませんが、ゆくゆくこの先、熊本・博多方面へと延伸してゆくことになります。

新幹線(左)と在来線(右)が寄り添う不思議な光景(06.8.1)
新八代3


  一方、かつては特急「つばめ」が停車していた八代駅へは、わざわざ在来ホームへ乗り換えなければならなくなり、明らかな改悪となってしまいました。ちなみに、肥薩おれんじ鉄道の列車も一部新八代まで乗り入れます。その在来ホームとは、改札そのものが別々となっており、相互の乗り換えはあまり考慮されていない構造です。

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#008 水俣駅

肥薩おれんじ鉄道

  旧鹿児島本線の主要駅のひとつ。熊本県内で最も鹿児島寄りの街です。県境区間となる水俣~出水間は鹿児島線でもいちばんのローカル区間で、熊本から出水行きの普通電車に乗って、出水で下車したのは自分一人、ということもありました。

  水俣駅周辺は比較的密集した市街地です。かつて中学時代に途中下車し、駅のキオスクでヤクルトを買って飲んだ記憶があります。値段は確か35円。なにぶん当時のなけなしの小遣い。一番安い飲み物を選んだのでしょう。

  九州新幹線開業のおり、新幹線の駅は水俣にではなく、熊本寄りにあった初野信号所のところに設けられ、新水俣駅となりました。ルート的に仕方なかったのかもしれませんが、微妙に市街地を外されてしまった水俣市民の感情たるやいかばかり。このため水俣駅は、現在では肥薩おれんじ鉄道が発着するのみの存在となっています。

  駅の写真はないので、JR時代、水俣停車中に車内から撮った列車の写真を。

写真:03.8.4
水俣

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#007 出水(いずみ)駅

JR九州新幹線/肥薩おれんじ鉄道

  出水は、熊本側から見た鹿児島県の玄関口。古くは島津氏の防衛拠点が置かれました。時代が下り、鹿児島本線をSLが疾走していた時代には、ちょうど熊本と鹿児島の中間に位置することから、中継地点としての役割を果たしました。(私の祖父はそこで機関士を務めていました。)

  出水市の人口は、隣接の高尾野町・野田町を合併して現在は6万弱ですが、合併前は4万ほどで、都市の規模そのものはさほど大きくありませんが、地理的な要所といえ、九州新幹線の駅もできました。また出水は、鶴(ナベヅルなど)の越冬地としても有名。渡来地は駅から離れていますが、その渡来数は年々増え、今では1万羽以上の鶴が冬を過ごします。

  SLの時代が去り、出水駅構内も寂れてしまっていましたが、そのヤード跡に九州新幹線の駅が建てられました。羽を広げる鶴が並ぶデザインの高架駅です。もとの在来線駅は肥薩おれんじ鉄道の駅となり、車両基地が置かれています。

  出水には私の母の実家があり、帰省時にはいつもこの出水駅を利用していたので、自分にとっては非常に思い出深い駅の1つです。

  下は、新幹線開業を7か月ほど前に控えたころの駅の様子です。写真に写っている古びたコンクリートの建物が、「鹿児島本線」時代の駅舎。今では駅として使われてはいません(左側に、おれんじ鉄道の小さな駅舎が新設されました)が、建物は残っています。駅前の異様にだだっ広いロータリーに特徴が有りましたが、ここは芝生の広場となり、それとは別に新幹線駅側にロータリーが設けられました。

旧駅舎と駅前広場。背後に新幹線駅(03.8.3)
出水


ホームに鶴の置物(03.8.3)
出水2


  新幹線駅開業により、駅北側に新たに出入り口が設けられ、今はこちらがJRの玄関口となっています。物産店なども入り、人口6万の都市にしてはずいぶん頑張っているという印象です。

新幹線駅側の駅舎(06.7.30)
出水4


もと在来線ホームからおれんじ鉄道列車が発着(06.7.30)
出水3


旧駅舎側の駅前はこのような姿に(06.7.30)
出水5

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#006 野田郷駅

肥薩おれんじ鉄道

  旧鹿児島本線から、九州新幹線開業に伴って第三セクター肥薩おれんじ鉄道に移管された駅。出水郡野田町内唯一の駅でしたが、3月に出水市に編入されました。

  JR時代より普通列車しか停まらない小駅でした。写真はJR時代、ホームを通過する特急「つばめ」。今やこの光景を見ることはできません。

  列車の背後に校舎が写っていますが、これは野田女子高校という学校で、駅のすぐ裏にあり、交通至便です。どこの有名私学かと思えるような名称ですが、鹿児島県立。私の母の出身校です。母が通学に利用していたころに、列車がSLからディーゼルに切り替わったそうです。

  この野田も島津氏ゆかりの地で、鎌倉時代に薩摩などの守護に任じられた島津氏が、当初拠点にしていた土地なのだそうです。

通過するつばめ(03.8.4)
野田郷

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