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トラベラーズ ノート まくら木日記

日記・雑記・駅々めぐり。

#069 (旧)加計駅

かけ:JR可部線(廃止)

  広島市横川から三段峡へと至る可部線は、可部を過ぎると非電化となり、市街地からうって変わって、山間を進むローカル線となりました。途中、町らしい町はなく、いかにも閑散ローカル線の風情でしたが、可部から約1時間、ようやくそこそこの町に入ったかと思うと、そこが加計駅でした。

  加計町(当時)の中心駅であった加計駅は、可部線非電化区間では最大規模で、ここでの折り返し接続列車もある拠点駅でした。駅前には商店街、近郊にはスーパーもあり、近くに立つ加計町役場には、可部線利用促進の垂れ幕が。

コンクリート造りの駅舎(02.10.14)
加計1


  ホームは島式2線で、うっかり逆方向の列車に乗り間違えそうになりました。当時は三段峡観光の時期でもあって利用はそこそこ多く、廃止濃厚といううらぶれた雰囲気はありませんでしたが、駅周辺に林立する廃止反対ののぼりが、この路線の直面する現状を物語っていました。

ホームの列車。可部行きは堂々4両編成(02.10.14)
加計2


  沿線の反対運動もむなしく、私が訪問した後まもなく可部~三段峡間の廃止が正式に決定、翌2003年11月末をもって同区間はその役目を終えました。加計駅もそれと命運を共にし、今では駅舎も姿を消したとのこと。加計町自体も、合併により「安芸太田町」となり、消滅しました。
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#068 可部駅

かべ:JR可部線

  山陽線横川(よこがわ)から分岐する可部線は、可部までが軽便鉄道として開業。その後電化され、1936年に国有化。その名残で、同区間は民家の間を縫うかのような貧弱な線路で駅間も短く、広島~可部間の17kmに普通列車が30分以上を要します。それでも、広島市街地の主要な足として、日中20分ヘッドの運転が行われています。

可部駅舎(02.10.14)
可部1


  可部から先では様相が一変、太田川に沿う谷を進む非電化ローカル線となり、加計三段峡へと向かっていました。その先さらに、山陰本線浜田へと達する構想で工事されていました。

  しかし、利用の極端に少なかった可部以北の区間は、2003年11月をもって廃止。奥へ行くほど利用が少なく、しかし線路は新しくなる路線でしたが、その新しい部分がバッサリ切り落とされてしまうという、皮肉な結果になってしまいました。

  電車と気動車の乗換駅だった可部が、現在では可部線の終点となっています。この先、次の駅だった河戸(こうど)までは、電化線として復活させる構想もあるものの、実現のメドは立っていないようです。

  可部以北の廃止前、気動車は基本的に可部で折り返していましたが、1日1往復だけは、広島への入出庫のために電化区間に乗り入れていました。私はたまたまその列車に乗車しましたが、駅間の短い電化区間にあって、鈍重なディーゼル車の走りとあいまって、実にスローペースな列車だったと記憶します。

可部から三段峡方面へと入っていた気動車(02.10.24)
可部2

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#067 広島駅

ひろしま:JR山陽新幹線/山陽本線/芸備線/広島電鉄

  山陽一の都市・広島の中心駅。広島は瀬戸内海に面する三角州に位置し、安芸の大名毛利氏により拠点とされました。毛利氏は関ヶ原の敗戦後、山口・萩に追われましたが、毛利輝元が建てた広島城を中心として、江戸時代にも中核都市として発展してきました。軍港呉(くれ)が近く、戦前は軍事的な拠点でもありました。

  1945年8月6日、世界初の原爆投下。広島市街地は壊滅しましたが、驚異的な復興を遂げました。爆心地付近は平和記念公園として整備され、核の廃絶を願う場とされています。

  1975年に山陽新幹線が全通し、広島はすべての新幹線が停車する要衝となっています。在来線では山陽本線、呉線、芸備線、可部線の列車が発着しますが、近年パターンダイヤ化が進められて、100万都市に相応しいダイヤへと洗練されてきました。ただし、使用される車両はほとんどが国鉄世代のもので、この面では全国の主要都市の中でも最も冷遇されている部類にあります。

在来線ホームから発着する電車(02.10.14)
広島1


  2007年6月をもって、芸備線急行「みよし」が廃止(快速格下げ)されたことで、広島を発着する在来線の特急・急行列車は、深夜・早朝に停車する寝台特急「富士・はやぶさ」だけとなりました。このため、同じ中国地方の拠点駅である岡山と比べて、華がない印象を受けます。

キハ58系2両で運転されていた急行「みよし」(02.10.14)
広島2


  駅前からは広島電鉄が発着します。原爆で被災した車両が今なお現役という路面電車ですが、市街地を出ると専用軌道に乗り、宮島口を目指す路線もあります。

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#066 新山口駅

しんやまぐち:JR山陽新幹線/山陽本線/宇部線/山口線

  「のぞみ」の約半数と、「ひかりレールスター」の多くが停車します。かつては「小郡(おごおり)」を名乗っていましたが、2003年秋、東海道・山陽新幹線の「のぞみ」増発改正に合わせて「新山口」に改称され、名実共に山口の玄関口としての地位を得ています。当時は小郡町に属していましたが、現在では合併により山口市に編入されています。しかし私は、「新山口」になってからこの駅を利用したことがなく、今も「小郡」のほうがなじみ深く思えます。

  県庁所在地山口へは、山口線を利用することになります。快速「やまぐちライナー」が設定され、所要15分程度。都道府県庁所在地駅として、私鉄を含め「電車」が発着しない駅は全国で3つだけですが、そのひとつがこの山口(ほかには鳥取・徳島)です。

  新山口からはさらに、津和野行きSL列車「やまぐち号」、米子・鳥取方面と結ぶ特急「スーパーおき」、宇部線宇部新川方面と結ぶ快速「のぞみライナー」が発着するほか、秋吉台や東萩方面ともバスで結んでいます。

  秋吉台からバスで小郡に着いたとき、たまたま1万円札しか持ち合わせておらず、バス代の1050円が払えなくて、結局降りてから駅のバス窓口に行って両替してもらい、やっと運賃が払えたという思い出があります。

  写真は91年8月の、山口線ホームの様子。当時山陰では当たり前のように見られた、キハ181系(特急「おき」)とキハ58系、国鉄カラー同士の並びも、今や過去の風景となりました。

「小郡駅」時代の光景(91.8.18)
新山口1

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#065 東萩駅

ひがしはぎ:JR山陰本線

  江戸時代の長州藩毛利氏の拠点であった萩は、阿武川のなす日本海に面した三角州に位置します。その居城であった萩城は、海に面する指月山のふもとに位置する独特の立地でしたが、天守閣などは明治時代に取り壊されて現存しません。中央に背を向け海を向いて広がる萩の地勢は、同じく倒幕・維新の立役者となった薩摩鹿児島とも通じるものがあります。

  山陰本線はその三角州の外周を回り込むように引かれており、市街地を大きく迂回する格好になっています。

  東萩駅は文字通り、萩市街地の東側に位置します。そこから山陰線は市街地の南側に回り込み、下関方面へ向けて萩、玉江と続きますが、市の中心駅は萩ではなく東萩駅。萩駅はもとから小規模な駅だったようで、(鹿児島と旧・西鹿児島のように)実質的な拠点駅が変化したというわけではなく、元来地理的な位置関係でそのような駅名となったのでしょう。

  そんな東萩駅も、市の中心からは外れに位置し、やや不便そう。それだけでなく、萩市の位置そのものが鉄道利用には不便な場所で、山陽側に直通するルートが無く、特急「いそかぜ」が廃止された今、東萩を通る列車は浜田~東萩~長門市間の区間運転の普通列車だけという有様。つまり鉄道で山陽方面へ抜けるには一度は乗り換えをせねばならず(しかも遠回り)、山口・新山口方面への連絡はバスが頼みという現状です。

東萩駅構内(01.10.8)
東萩1


  市中心部には、幕末の志士たちを輩出した長州藩の武家屋敷群などが残され、城下町萩の名残をとどめています。萩城跡は、石垣や堀を残した状態で公園化されています。

江戸時代の面影をとどめる町並み(01.10.8)
東萩2


  見所の多い街ではありますが、いかんせん交通(特に鉄道)の不便さが目立ち、山口県内でも「遠い場所」という印象があります。維新後の有力者を数多く出した萩が、そうした面であまり顧みられてこなかったというのは意外な気がしますが、もともと中国地方の覇者でありながら、幕府により周防・長門2国にいわば追いやられた毛利氏にとって、萩は「押し込められた地」という印象が強かったのかもしれません。

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#064 仙崎駅

せんざき:JR山陰本線(仙崎支線)

  山陰本線の長門市駅から、わずか2.2kmの支線。草むすその線路を3-4分走って到着するのが仙崎駅です。

  仙崎駅は1面1線の無人駅。つまり長門市から来た列車がそのまま折り返すことしかできない構造です。現在では、わずか6往復の運転。17時台にして「最終列車」になってしまいます。91年時点では16往復だったものが大幅減便されており、利用状況はかなり厳しいものと思われます。これは、山陰本線そのものの地位の低下とも無関係ではないでしょう。

  籍の上では「山陰本線の支線」ですが、列車の運用上は美祢線(厚狭~長門市)の続きのような格好となっており、時刻表でも美祢線とセットで記載されています。後述の「みすゞ潮彩」号を除けば、山陰本線側との行き来はありません。

仙崎に到着したキハ120の列車(01.10.8)
仙崎2


木造風の駅舎(01.10.8)
仙崎1


  駅を出て少し歩くと、漁港があります。かつては捕鯨で栄えたといい、鯨のモニュメントが立ちます。また、青海島観光遊覧船の乗船場もあります。

  その青海島は仙崎に近接する島で、橋で本土とつながっています。橋を渡って高台へ登ると、仙崎の町並みと港湾の様子を一望することができます。

青海島から望む(01.10.8)
仙崎3


  仙崎で写真を撮っていると、地元の方に「金子みすゞのことを聞いて来られたのか?」と問われました。私は不勉強でその名すら知らなかったのですが、調べると、仙崎は昭和初期の詩人金子みすゞの生誕地であり、近年再評価が進んで、学校の教科書にも載るほどの人だとのこと。

  2007年7月、そのみすゞの名を冠した観光列車「みすゞ潮彩」号が登場。キハ40系を改造した専用車両が使用され、風光明媚な本州西端の海岸沿いの車窓を楽しむことができます。2往復中1往復が、(新下関~)下関小串~長門市~仙崎間で運転されます。すぐに折り返してしまうとはいえ、いち盲腸線の終端として寂れる一方の仙崎駅にとっては、久々に明るい話題と言えそうです。

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