FC2ブログ

トラベラーズ ノート まくら木日記

日記・雑記・駅々めぐり。

#072 西岩国駅

にしいわくに:JR岩徳線

  洋館風の白壁に、オレンジ色の屋根が印象的な駅舎。西岩国駅は、もともと「岩国」駅として開業した歴史を持ちます。

西岩国駅舎(07.10.6)
西岩国1


  1929年、この「岩国」駅が開業すると、それまで岩国を名乗っていた現・岩国駅が「麻里布」に改称。そして、1934年に現在の岩徳線が全通すると、従来の柳井まわりの海岸ルートに代わってこちらが「山陽本線」となり、この「岩国」駅は名実共に岩国の玄関口となりました。

  ところが、その10年後には、柳井ルートが「山陽本線」に戻り、この内陸ルートは「岩徳線」として一支線に成り下がってしまいました。これは、山陽本線を複線化するにあたり、山越えのある内陸ルートが敬遠されたためとされています。輸送力を増強せねばならない、だが経済的余裕がないという、戦時中の逼迫した情勢が影響したのかもしれません。これに先立つ1942年、柳井ルートと内陸ルートの分岐点にあたる麻里布駅が「岩国」に戻り、「岩国」は市代表駅の座を返上する格好で、「西岩国」に改称されました。

  こうした歴史的過程から、岩徳線の駅ホームは分不相応に長く、この西岩国駅も例外ではありません。10両ほど入れようかという長大なホームに停まるのは1,2両の列車にすぎず、中央の線路は撤去されて、現在残るのは1番線と3番線のみとなっています。

中央部のみ使用される駅ホーム
西岩国2


  それでも、さすがに市の玄関口として造られただけあり、駅舎は内外に意匠が凝らされています。開業50周年(1979年)を記念して、原型に近いかたちに復元されたとのことで、木製の改札口や、錦帯橋を模したという玄関部のアーチなど、昭和初期の趣を伝えています。駅舎は、西岩国振興のNPOが管理しているとのことで、その事務所・展示室として活用されています。

小さいながらも上品な駅舎の内部
西岩国3


  たら・ればの話となりますが、もし岩徳線が「山陽本線」、西岩国駅が「岩国」のままであれば・・ この駅は手狭になり、より大規模なものに改築されていたかもしれません。メインルートを外れたがゆえに、かえって往時の姿を残すことができたともいえます。

  なお、駅舎のモデルともなっている錦帯橋は、この駅からバスで5分ほどの所です。観光客で賑わう名所ですが、西岩国駅から路線バスに乗ったのは私一人でした。

錦帯橋 ほとんどは観光バスでの訪問者か
西岩国4
スポンサーサイト



テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行

[日記]バターがない!?

  ちまたでは今、バターが大いに不足しているのだそうで、バターを使ってパンを焼く私の母が、頭を抱えています。

  たとえば、http://www.cuoca.com/category/20.html

  見事に「品切」の嵐。残っているのは、50g500円もするお試しの高級品だけ・・

  スーパーに行っても、バターの棚は空っぽ。

  原因はといえば、上記「クオカ」サイトにも書かれているように、みんなが牛乳を飲まない→牛乳を生産しない→バターの原料がない ということなのだそうです。バターはいわば牛乳の副産物。バターだけ売れても、酪農業者にとっては焼け石に水なのでしょう。

  さらに言えば、中国などの経済成長、食習慣の変化などで乳製品の需要が伸びているともいうので、その影響もあるのかもしれません。

  お菓子をよく作る人でなければ、直接的にはあまり影響を感じないことかもしれませんが、これから年末、ケーキや菓子が一番売れる時期であり、メーカーにとっては死活問題でしょう。(その需要ゆえに品薄になっているのでしょうけれど。)

  日本の食糧事情の脆さについては、これまでにも散々論じられてきたことであり、食料品の値段がじわじわ上がりつつあるのも、原油価格の問題を考えれば仕方ないのかなとも思えますが、このように当然あるべき品物が忽然と姿を消すという現象に面すると、「食糧」をめぐる社会のひずみと、世界的なせめぎ合いのうねりが、いよいよ自分たちの足下にも迫っているのだろうか、と感じさせられる一件です。

#071 大畠駅

おおばたけ:JR山陽本線

  一見瀬戸内海沿いを走っているように思える山陽本線ですが、海が見える部分は少なく、海岸に沿って走る区間となると、須磨~明石間、尾道~三原間、岩国~柳井間などかなり限定されます。

  岩国から海岸沿いを南下してゆくと、前方に屋代島(周防大島)が現れます。その大島へ架かる橋(大島大橋)をくぐると大畠駅。

大畠駅舎(07.10.6)
大畠1


  下りホームからは大畠瀬戸とよばれる海峡、そして大島が見渡されます。ホームに「釣りの町大畠」という看板が掲げられているとおり、この海峡部は釣りの名所となっているらしく、私の訪問時にも防波堤などで釣りをする人々の姿が。

大畠2


  駅の規模はさほど大きくありませんが、大島大橋が1976年に開通するまでは、大島方面へ向かう国鉄の連絡船が発着していたとのこと。現在もJRバスが大畠と島内を結んでおり、その名残をとどめています。

駅構内の様子。背後に架かるのが大島大橋(07.10.6)
大畠3

テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行

[日記]三木鉄道は今日も行く

  この3連休(特に土・日)は良い天候で比較的暖かく、行楽に出かけた方も多かったのではないでしょうか。

  来年3月末をもっての廃止が決まっている三木鉄道。晴天となった昨日、沿線に数名の撮影者の姿が見られました。私は仕事で出かけた帰りに、石野駅付近で撮影。

三木鉄道1

三木鉄道2


  廃止まで4ヶ月余となり、これから撮影や乗車のために足を運ぶ人も増えることでしょう。私も、地元に住んではいても、そう頻繁に行くことはできませんが、悔いのないよう「今」を見届けてゆきたいと思います。

「ちょい日記」 こっそり始めました

  読んで字のごとく、管理人Yakaのちょっとした日記帳です。しかし私は、この種の試みをして長続きしたためしがないので、「駅々めぐり」のBLOGに間借りする格好でひそかに始めてみます。自然消滅する可能性もあります。大いにあります(苦笑)

  というわけで目標は、

  (1)週1度以上
  (2)3行以上


  なんて低いココロザシだ・・・

---------------------

  昨日、所用の帰りに夕方の朝霧へ。4時台でももう日没前で、慌ただしい気分になります。

  私が一番好きなのは、秋晴れのあの抜けるような青空なのですが、冬の朝夕の、凛とした空気を感じさせる澄み切った空も好きです。(寒いのは極端に苦手なのですが。)

  ここ数日、冬型の気圧配置が続き、空の色も一気に冬のそれになってきました。猛暑だ暖冬だ異常気象だで、体感的な季節の変化はむちゃくちゃになりつつありますが、空を見る限りは、きちんと暦どおりに四季が推移しているのが不思議なものです。

  秋と冬で大きく違うのは夕日の色で、秋は空全体、そして風景全体が真っ赤に染まる感じなのに対し、冬は赤から青、そして黒へのグラデーションがくっきり出ます。空気の質が違うんでしょうね。

明石海峡大橋

#070 (旧)三段峡駅

さんだんきょう:JR可部線(廃止)

  可部線のうち、2003年11月末をもって廃止された区間の終点。加計からさらに30分ほど走り、山に阻まれる格好で、線路は突如終端を迎えました。

  可部線が三段峡まで達したのは昭和44年のことで、その先島根県の浜田方面へと延伸する計画もあったものの実現しませんでした。

  その名の通り「三段峡」と呼ばれる景勝地の玄関口。駅前には土産物屋などが建ち並んで、それなりのにぎわいを見せていました。そのためか、駅舎は斜めの屋根のりっぱな鉄筋の建物で、終点駅にありがちなうらぶれた雰囲気は、あまり見られませんでした。

山に囲まれた三段峡駅(02.10.14)
三段峡1


  駅前にはC11蒸気機関車が保存されていました。廃止1年前の訪問時には、そのSLに「可部線存続を願う!」との横断幕が掛かっていました。白地に赤文字で大書きされたもので、数ある沿線の廃止反対スローガンの中でも、最もインパクトの強いものでした。

三段峡2


  駅のホームは1面1線のいわゆる棒線駅で(機回し線の跡あり)、列車はそのまま折り返すのみ。列車の姿を記念に写真に収める人もいました。

三段峡3


  廃止後、駅舎は取り壊されたとのこと。廃止反対の「広告塔」であったC11は、広島近郊のショッピングモールに移され展示されているそうです。

テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行