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トラベラーズ ノート まくら木日記

日記・雑記・駅々めぐり。

10周年企画(構想)

  きたる8月30日、「トラベラーズ ノート」は10周年を迎えます。物事を一貫して進めるのが苦手な私が、ここまで続けてこれたのも、ご覧下さる皆様あってのことです。

  この節目に、特別企画をと検討しています。その内容は、

  「十年の旅百景」というものです。

  弊サイトを開設した1999年8月以降、旅先で出会った風景を選定し、紹介しようという企画です。現在、写真のピックアップを行っていますが、まず、これを100に絞るのに苦労しそうな気配です。(できるだけ、これまでサイトで取り上げたもの以外から選ぼうと考えています。)追々、アップしてゆきたいと思いますので、どうぞご期待下さい。
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関西私鉄めぐり(7:阪神なんば線編)

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  近鉄奈良線を駆け抜け、鶴橋から地下に潜って、大阪難波へ。阪神なんば線開通までは「近鉄難波」でした。これより、新しく開通した区間へと入って行きますが、私が乗る10両目は、最後部で、尼崎で切り離されるせいもあってか、ここで乗客はほとんどいなくなってしまいました。

  宿願かなっての開通であった阪神なんば線ですが、ほとんどの区間が地下なので、景色的なおもしろみはありません。京セラドーム最寄りとなった「ドーム前」駅。オリックスバファローズの本拠地ですが、構内には阪神・真弓監督の巨大なポスター。阪神の駅なのでそうなるのでしょうが、今も近鉄が球団を持っていれば、また違った光景になったかもしれません。いずれにせよ、阪神間・東大阪の双方からドームに野球観戦に来るには、ずいぶん便利になったことでしょう。



  九条を出るとようやく地上へ。ただし、西九条までは両側を防音壁に囲まれて、景色は見えません。九条周辺では住民の反対が多く、それがなんば線開通を遅らせる一因になったようなので、そのあたりへの配慮なのでしょう。

  西九条から尼崎は阪神西大阪線だった区間で、従来は普通列車だけで、都会の中のローカル線のような雰囲気がありましたが、この快速急行はノンストップで駆け抜け、なかなか気持ちの良い走りです。

  大阪難波~尼崎間の車窓風景を動画にまとめています。



  尼崎で阪神本線に合流。ここからは6両編成が限界となり、後ろ4両が切り離されるので、前の車両に乗り換えます。ただし、知らずに車両にとどまっていた人たちもおり、まだ周知徹底には至っていないようです。切り離し作業もまだ完全に慣れてはいないのか、結局尼崎発は2,3分遅れとなりました。

尼崎での解放作業
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  西の空に傾く夕日の方向を目指して、近鉄車両の快速急行は阪神路線を走って行きます。山陽と近鉄の競演がみられるようになった阪神本線、俄然面白くなりました。

快速急行、阪神三宮に到着
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<完>

お知らせ

  最近、このBLOGにもスパム投稿が目立ってきたので、コメント投稿のさいに画像認証を求める方式としました。利用される方にはお手数をかけますが、よろしくお願いします。

関西私鉄めぐり(6:近鉄編)

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  京都へ戻り、いよいよ旅も帰路へ。

  ここから奈良の大和西大寺まで、近鉄特急を利用します。有料の私鉄特急というのは初めてで、500円の指定席特急券を購入して乗りこみます。

時間がなく、慌てて撮ったのでひどい手ブレ(>_<)
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  車内は実に落ち着き、乗り心地も良好。料金を損と感じさせない、快適な30分を過ごしました。後半はJR片町線と並走。単線のJRをわきに複線を悠々と走行、優位を見せつけます。

  大和西大寺より近鉄奈良線へ。いよいよ、阪神との直通が始まった区間に乗りこみます。やってきた快速急行は近鉄車。しかし「三宮」の表示が、乗り入れの証です。

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  この列車は途中生駒で下車し、しばらく駅で写真を撮って過ごす。近鉄に乗ること自体が、小学生のとき以来なので、やってくる電車の姿が新鮮。

駅西の新生駒トンネルを出てくる、阪神車の快速急行
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  次に来た快速急行も近鉄の車両。すぐに新生駒トンネルに入ります。奈良と大阪を隔てる生駒山地を貫く3.5km近い長大トンネル。それを抜けると眼下に、東大阪の町並みが広がります。これは壮観。

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関西私鉄めぐり(5:嵐電・阪急編)

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  出町柳から京阪で引き返し、祇園四条で下車。地上へ出るとそこは四条大橋。この橋で鴨川を渡った先に、阪急の河原町駅があります。

四条大橋の上から
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  阪急で大宮へ、その地上には京福電鉄(嵐電)の四条大宮駅があります。ビルの1階部分が吹き抜けとなった形状で、今ではあまりお目にかかれない「都会のターミナル」然とした駅です。

  ここから嵐山まで、嵐電の列車で進んで行きます。家々の間を縫い、一部は道路の上を走る「半路面電車」。一昔前の風情があります。

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  約20分で嵐山。さすがは京都有数の観光地、なにせ人が多い。

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  人の波、車の列に気を遣いながら、南下して桂川にかかる渡月橋へ。延々と人の列。平日でこれなら休日は・・

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  保津峡から広がる谷の景色はさすがに見事。ここでも桜は見頃を過ぎていたものの、しだれ桜が立派で、撮影する人多し。

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  もう少し経てば新緑が萌え、そのときこそ嵐山は絶景となるのでしょう。(人出もものすごいのでしょうが。)今回はやや中途半端な時期でした。

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  嵐山からは阪急電車に乗って、京都方面へと戻ります。

もと京都線特急用の車両が、嵐山線用に
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関西私鉄めぐり(4:叡山電鉄編)

  4月の旅行記、途中で放置していましたが、やはりほったらかしは良くないと思いましたので再開します。

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  京阪で出町柳に着いてから、叡山電鉄に乗り換えて鞍馬を目指します。2両編成の、ローカル感の強い電車です。

  京都郊外から北上して田園へ、比叡山方面へと向かう線路と分かれ、山間へと景色が移り変わって行きます。

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  出町柳から30分、鞍馬は静かな山の中。駅前から鞍馬寺門前にかけては一応観光地然としていますが、規模はさして大きくなく、「秘境」の雰囲気があります。

古風な鞍馬駅舎
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鞍馬寺門前
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  寺の門だけ眺めて、そのまま来た道を引き返す。復路は観光タイプの「きらら」という車両で、山からひらけゆく風景を堪能します。

  叡山電鉄の車窓を動画にまとめました↓



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水鏡再び

  先回「水鏡写真」について取り上げましたが、本日、天気が良かったので、早朝から少し出かけてきました。今日はまさに、先回挙げた諸条件が見事マッチして、素晴らしい出来になりました。

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  北条鉄道フラワ2000-3(旧三木鉄道ミキ300-104)が他車と連結される姿を撮ったのは、これが初めて。三木時代には単行でしか走ることがなかっただけに、新鮮な光景です。

模型っぽい写真

  こんなサイトを見つけました。

  http://tiltshiftmaker.com/

  「傾斜シフトのミニチュアのスタイル写真は、モデル写真に似るように操られる現実の場面の絵です。今、あなたは、tiltshiftmaker.comを使用することで既存のデジタルカメラ写真を傾斜シフトスタイルミニチュアに容易に変えることができます。 私たちのオンライン写真編集ツールは、おもしろく、登録もsignupも必要としません。」

  翻訳サイトで説明を訳すとこんな感じ。早い話、ミニチュアを撮ったみたいに画像を変換するサイトで、PC内もしくはWebサイト内の画像データを選んでアップロードすると、手軽に変換してくれて、それをダウンロードすることもできます。

  で、実際にやってみたのがこちら。

BEFORE 181元
→AFTER 181改

BEFORE223元 → AFTER 223改



  確かに模型っぽい。またいろいろ遊んでみるかも。

水鏡写真

  ここ数日で、日本全国一斉に梅雨入りを迎えました。

  さて、私の住む近所では、6月上旬が田植えのピークとなります。田んぼに水が張られ、苗が植えられると、しばらくはその水面が鏡のように景色を映し出し、独特の風景を造ります。

  7年ほど前、列車を水面に映した写真を見て、自分も挑戦してみようと、他所の掲示板で情報を集めて出かけました。当時はまだデジタルカメラはなく、普通のフィルムカメラだったため、見境なく撮るわけにもゆかないし、できばえは現像しないと分からない。結局、出来不出来はあったものの、世界が広がったような嬉しさがありました。

  その後も、この時期の風物詩として、毎年のように「水鏡写真」にチャレンジしており、うまく写りこませることができた時の喜びはひとしお。しかし、これにはシビアな条件があります。

  それは、なかなか好条件には巡り会えないということです。うまく「水鏡」ができるのは、水張り・田植え数日後の穏やかな日。直後は水が濁っていますし、あまり経ってしまうと、藻が張ったり苗が生長したりして映らなくなってしまいます。また風が強いと、波が立ってこれもNG。

  当然ながら、風景が引き立つのは晴天、青空がくっきりする日です。しかし梅雨入り前後という時節柄、そんな日はそうそうやってきません。もちろん私自身にも生活があり、いつもホイホイ出かけて行くことなどできません。そうした諸条件がぴったり合致することは、1年でも1度あるかないか、ということになります。

  もちろん、プロカメラマンのようにそれで生計を立てているわけでも、何かのコンクールに出そうとしているわけでもないので、あくまで「出会った景色を撮る」に過ぎないのですが、それだけに一期一会の遭遇が楽しみであったりもします。

  というわけで、これまでに撮った「水鏡写真」の一部をここで紹介します。

2002.6.3 福知山線 道場~三田間 特急「北近畿」
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2004.6.14 神戸電鉄 市場~小野間
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2006.5.29 福知山線 道場~三田間
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2007.6.12 三木鉄道 石野~西這田間
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2008.6.16 加古川線 黒田庄~本黒田間
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2009.6.8 福知山線 道場~三田間
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さようならミキ300

  ほったらかして、思い出したようにアップの始まる「まくら木日記」です m(_ _)mスミマセン

  さて、2008年3月限りで廃止された三木鉄道ですが、その時点で気動車「ミキ300」が3両在籍しており、去就が注目されていました。導入が1998-2002年と、まだかなり新しかったことから、売却の方向で話が進められてきました。

  当初は1両は保存される計画でしたが、結局3両とも売却されることになりました。私としては、車両は走ってこそ生きるものだという思いがありますし、保存車の維持に関して、そもそも財政危機を理由に三木鉄道を切った三木市に多くは期待できず、いたずらや老朽化にさらされる姿を想像すると忍びないものでした。それだけに、私にとって「すべて売却」というのは朗報でした。

  とはいえ、この売却交渉は難航したようです。中古でこれだけ新しい車両が出るのは有り難いチャンスで、関心を示す事業者は少なくないとの話だったので、引く手あまただろうと思っていたのですが、いかんせん今はどこも経営が逼迫しており、結局当初の競りで買い手がついたのは、一番新しい105号(→樽見鉄道)だけでした。

  その後、個別の交渉で、104号が北条鉄道に渡ることになりました。北条鉄道は三木鉄道と同時に発足したいわば兄弟分、既に在籍していたフラワ2000の2両はミキ300と同タイプであるうえ、開業時から残るフラワ1985-1は老朽化が進んでいたため、その置き換え用にと早くから関心を示していました。

  2008年12月、2両は相次いで搬出され、新天地へと旅立ちました。ミキ300-105は樽見鉄道ハイモ295-617、104は北条鉄道フラワ2000-3となり、09年3月以降、それぞれ三木鉄道時代のままのカラーで運転を始めました。

  さて、「長男」の300-103は、その後も1両だけ、旧三木駅構内に取り残された状態でした。そうこうするうちに線路の撤去が始まり、厄神側からレールがはがされてゆきました。この撤去は6月には完了することになっており、このまま買い手がつかなければ、結局ここで保存となってしまうのか?とも思えました。

6月9日時点で、別所駅付近まで撤去が進んだ
別所

  しかしついに、103は茨城県の「ひたちなか海浜鉄道」に買い取られることになりました。売却額は500万円と、かなり安くなりましたが、三木鉄道側もこれ以上延ばせなかったのでしょう。そして、弟たちから遅れること半年、6月8日から9日にかけて、最後の搬出作業が行われました。

  今回は遠方への輸送ということもあってか、1両に2日がかりの搬出となりました。(先回は各車両に1日ずつ。)

トレーラーに載せられたミキ300-103
300-103(1)

  「ミキ300」としては久々に、そして最後に間近で見る車体ですが、さすがに1年以上のブランクのためか、塗装の色あせも見られます。しかしひたちなか海浜鉄道も、このままの塗色で使うそうです。

「厄神⇔三木」の標示もこれが最後
300-103(3)

300-103(2)

  三木鉄道の社章をつけた最後の車両が三木の地を去ったことで、同鉄道の清算はひとつの区切りを迎えたことになります。なお、ミキ300-103は6月11日にひたちなか海浜鉄道に搬入され、整備ののち、夏に運行を開始するとされています。兵庫・岐阜・そして茨城と、各地に散った彼らには、三木で潰えた分まで、その末永い活躍を期待したいものです。