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トラベラーズ ノート まくら木日記

日記・雑記・駅々めぐり。

カレンダー壁紙 2010/8

  今月は何とか、8月に入る前にアップです。昨年6月から続く、記事数月二桁を継続するための帳尻合わせ(苦笑)。

  前回に引き続きの九州シリーズ。

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  阿蘇のカルデラをゆく南阿蘇鉄道。JR豊肥本線と接続する立野駅を出て間もなく、列車はこの「立野橋梁」を渡ります。阿蘇外輪の深い谷をまたぐ赤い鉄橋は、今月役目を終えた余部鉄橋と同じ「トレッスル橋」とよばれるものです。列車はトロッコ列車「ゆうすげ号」。
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言葉の力

  どうでもいい雑談と前もってお断りしておきます。

  皆さんは「こども」という言葉を、どう表記されるでしょうか?

  最近ふと、近頃新聞雑誌等で「子ども」という書き方が多くなったな、と気づいて、注意して見てみるとやはり「子ども」表記が主流になっているようです。

  以前は「子供」が普通の書き方だったと思うのですが、きっとこれは「供」という字が「お供」という言葉をイメージさせ、大人の所有物みたいで云々、ということかなと。ざっと調べてみたら、だいたいそんな理由らしいです。(同様に、漢字のイメージを敬遠した例として、「障害者」を「障がい者」と表記するものも見受けられます。)

  これには反論もあって、それを言うなら「~ども」のほうこそ「野郎ども」や「女ども」のような蔑視が含まれるではないか、とも。

  私見を申せば、「子供」だろうが「子ども」だろうが正直どちらでもよいことで、この手の論争は煎じ詰めれば印象の問題、時代や世相の反映なのだろうと思います。言葉とは生き物であり、使われていくうちに変化を遂げて行くのは当然なのですが、結局は使い手・受け手のイメージの問題であり、そこに何かと理屈をつけて生真面目にルールを策定しようという行為には、意味のなさを覚えます。(そうは言っても、公共の出版物では「表記揺れ」があっては困るので、どちらか決めておかねばならないわけですが。)

  しかし、こうして言葉じりひとつにも論争が生じること自体、言葉の一つ一つをどう使うか、それがどう受け止められるかが、それだけデリケートな問題であるということです。言葉は「伝える」ためのもの、つまり(日記のようなものでない限りは)常に相手の存在するものであり、それゆえ主観ばかりを頼りにすると大変な目に遭います。こと、文章として形に残ってしまう場合はそうでしょう。

  WEBの大海の中のごく一片とはいえ、サイトやブログを運営する者として、このことは肝に銘じておきたいものです。自分の場合、語彙の少なさがその点では幸いしているのかも知れませんが(苦笑)

鹿児島のシンボル

  多くの場合、有名な都市には「シンボル」と呼べるものが存在します。ただし、1つに絞れない場合もありますし、シンボルと呼ぶには今ひとつインパクトに乏しいものもありますが・・・

  一方、鹿児島には押しも押されぬシンボルが存在します。

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  そう、桜島。錦江湾の真ん中にどっかと居座り、鹿児島の市街地に対峙するその姿は、圧倒的な存在感を醸します。一昨年の大河ドラマ「篤姫」(篤姫は薩摩島津家から幕府に輿入れ)でも繰り返し登場。ひと目で「薩摩のシーン」と判らせるうえで、これに勝るものはありません。

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  桜島は火山なので、上部がゲンコツのようにゴツゴツし、薩摩隼人の「無骨」のイメージともマッチします。また噴火の際には火山灰をまき散らすため、鹿児島の天気予報には桜島上空の風向きが含まれます。

  鹿児島市街から桜島へは、フェリーが頻繁に運行され、15分ほどで結んでいます。鹿児島市在住の叔父は教員で、現在は市街から桜島方面へ「フェリー通勤」をしているとのこと。かつては離島への赴任も経験しており、鹿児島県ならではの転勤生活です。

  余談:薩摩の女性を指して「薩摩おごじょ」と呼ばれたりします。(薩摩言葉では、良い女性を「よかおごじょ」と呼ぶとか。)薩摩おごじょは気だてが良く、芯が通ったしっかり者というのが一般的な評価だそうです。私の母も薩摩出身ですが、具体的なコメントは控えさせていただきます(笑)

余部鉄橋'93

  前回に引き続き余部鉄橋を。初めて訪れた93年3月、北部は春先の雪となった日でした。

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  陰鬱な空の下、雪山をバックに、特急「はまかぜ」。

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  京都からの特急「あさしお」。当時はまだ、結構な数の特急がこの鉄橋を渡っていました。(翌94年に智頭急行が開通し、鳥取方面へのメインルートを外れたことで、この区間は衰退してゆきました。)

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  「お立ち台」から鉄橋と普通列車、そして海を一望。普通列車のこのカラーリングも、現在では存在しません。なお、お立ち台で列車を撮ったのは、なぜかこの1回限りでした。

  →この旅行の旅日記

さらば、余部「鉄橋」

  お久しぶりです。いろいろ立て込んでおりまして、更新をほったらかしにしていました。申し訳ありません。

  その間に梅雨が明け、それまでのモヤモヤが一転、猛暑続きとなっています。疲れが出て体調を崩されている方もおられるかもしれません。私は今のところ生きてますが(苦笑)、なんとか乗り切って行きたいものですね。

  さて、さる7月16日をもって、山陰本線の余部鉄橋が役目を終えました。1912年(明治45年)以来、日本海からの風雪にさらされながら、文字通り山陰本線を「屋台骨」として支え続けてきましたが、老朽化と風対策の問題から、コンクリート橋への架け替えが決定、工事が進められていました。

  →2008年12月の訪問時の様子
  →2009年10月の訪問時の様子

  以下の写真は、架け替えの方針が固まりつつあった2004年に訪れたときのものです。

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  餘部駅上のいわゆる「お立ち台」から。日本海と鉄橋、そこを通る列車が望める、超有名なポジションでした。

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  通過して行く列車。最終的に、ここを通過するのは特急「はまかぜ」(通常1日2往復)を除けば1,2両の普通列車だけとなり、立派な鉄橋に対して寂しい有様でした。ただし、7月16日に最後に通った営業列車は、鳥取行きの特急「はまかぜ5号」でした。

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  鉄骨には繰り返し塗装が施され、注意深く維持管理されてきた様子がうかがえました。

  ちなみに、「鉄橋」という語には、(1)鉄道の橋(鉄道橋) (2)鉄でできた橋 という二重の意味があります。ですので鉄製でなくても、(1)の定義に基づいて「鉄橋」と呼ぶのは差し支えありません。新しいコンクリート橋は「新・余部鉄橋」ということになるでしょう。ただし余部の場合、文字通り「鉄の橋」だった先代のイメージがあまりにも強いので、新橋梁は実際にはどう呼ばれるやら。

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  昨年10月に撮影。やはり、「鉄橋」と呼ばれるべきはあくまで先代、とみなされているようです。

ひまわりの季節

  佐用町(旧南光町)で例年、夏の時期に「ひまわり祭り」が開かれます。私が訪ねたのは一昨年の7月14日。この年はこのころ既に満開でしたが、当日は35度に達する猛暑で、ひまわりをじっくり見る前に参ってしまいました(記事)。

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  ひまわり園は千種川に沿って点在しており、少しずつ時期をずらして開花するようになっています。昨年の水害で被害を受けたものの、今年も開園にこぎつけたようです。

  佐用町サイト内の案内ページ

  今年は天候不良により、開花が遅れているそうです。2008年に訪れた米田地区も、まだ「つぼみ」とのこと。今年は7月中は時間が取れそうにありませんが、あわよくば8月には・・と期待。

はやぶさは北へ

  さる6月13日に、小惑星探査機「はやぶさ」が地球に‘帰還’したことが話題になりました。実際に地球上に帰ってきたのは、小惑星「イトカワ」の物質を収めている(と期待される)カプセルだけで、本体は大気圏で燃え尽きてしまいましたが、様々なトラブルに見舞われながら、小惑星から戻って来るというこれまでにないミッションを果たしたことで注目されています。カプセルの中身は現在解析中で、昨日のニュースにおいて、微粒子の存在が認められたとの報でしたが、初めから地球上で混入していたものである可能性もあり、結果は今後の調査を待つことになります。

  日本人は国民性として、モノに対する愛着が殊更強いようです。作品や機械に対しても情を抱き、擬人的に扱う傾向があります。この国に太古の昔からある、「万物に魂が宿る」という思想が影響しているのかもしれませんが、それに加えて、作品の背後にある、制作者やそれに関わる人のドラマを感じ取る感性を有しているのでしょう。かつてNHKで放送されていた「プロジェクトX」のような開発秘話を好むのも、その傾向の一端だと思います。

  ちなみに、日本の企業が外国で製品を売り込むのに、開発にまつわるこうした苦労話をしてもうまくいかないそうです。向こうの人が知りたいのは、あくまで道具としてのその製品の有用さであり、「これを使えばこんなにすばらしい」という点をアピールできなければならないようです。日本人が根っからモノ作りが好きだというのが、そんなところにも表れています。

  さて、「はやぶさ」といえばもうひとつ、2011年春から運転される東北新幹線東京~新青森間の列車名につけられることが決まりました。

  列車としての「はやぶさ」の歴史は、1958年、東京~鹿児島(のちに西鹿児島、現在の鹿児島中央)間の夜行特急として始まりました。1980年以降、それまで同じ東京~西鹿児島間を日豊本線経由で結んでいた「富士」に代わって、日本の列車の中で最長距離を20時間以上かけて走っていました。

  私が母の実家のある鹿児島に行くと、この「はやぶさ」に出会うことがありました。寝台特急ながら、出水を通るのは下りは昼前、上りは昼過ぎ。「最速の鳥」の名を付されたこの列車も、新幹線を軸にした特急ネットワークが発達した時代にあっては足手まといの感があり、電車特急に追い抜かれてゆくありさまでした。

鹿児島県内に達していたころの「はやぶさ」
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  1997年に運転区間を熊本で打ち切り(以下記述は下り列車を基準)、その時点で最長の座を長崎行きの「さくら」に譲りました。1999年からはその「さくら」と鳥栖まで併結するようになりました。

  2005年、「さくら」が廃止され、再び最長列車となった「はやぶさ」は、かつて共に西鹿児島を目指し、今や大分止まりとなった「富士」と組むようになりました。このように足切りや統廃合の憂き目に遭いつつ、九州向け寝台特急として最後まで残った「はやぶさ」でしたが、2009年3月をもってついに「富士」共々廃止。東京発のブルートレイン、そして本州から九州に直通する(新幹線でない)特急の歴史にも終止符が打たれました。

  さて、東北新幹線の新青森延伸に向け、新しい愛称の公募が行われ、かつて上野と青森を結んでいた特急「はつかり」の名がトップ。そのほかに現在の八戸行きに付されている「はやて」などが上位につけていましたが、結局採用されたのは、7位だった「はやぶさ」でした。何となく出来レース臭さはありますが、かつて東京~大阪間のビジネス特急の名前に、得票トップだったのに採用されなかった(その際採用されたのは「こだま」)など、上位の常連なのになかなか使ってもらえなかった雪辱を果たした格好です。

  2年のブランクを経て、これまでと真逆を向いて再び飛び立つことになる「はやぶさ」ですが、そのために開発されたのは「E5系」という車両です。15mにわたる水鳥のくちばしのような特徴的な先頭形状は、近い将来の320km/h運転に備えて、空気抵抗を減らしていわゆる「トンネルドン」(※)を軽減するためのものです。

  ※ 車両がトンネルで高速に突入することで、圧縮されたトンネル内の空気が衝撃波となって反対側に伝わり、出口で大きな音を出す現象。当然、速度が上がるほどこの音も大きくなるため、いかに抵抗を減らして、トンネル突入時に上手に空気を逃がすかが課題になります。

  探査機の「はやぶさ」は、様々な未知の領域に挑んで、宇宙開発のための貴重なデータを残したといわれますが、新幹線「はやぶさ」も今後、最速新幹線として様々な想定外の試練を経験しながら、技術の進歩に寄与してゆくのでしょう。

  ちなみに、九州新幹線全通に合わせて、同じ2011年3月に新大阪~鹿児島中央間にデビューするのが「さくら」(参考記事)。かつて最長の座を競い、最後は一緒に組んだ寝台特急同士が、東と西で新幹線として再起を果たすというところに何かの縁を感じるのも、冒頭で挙げた「モノへの愛着」なのかもしれません。

とても微妙な変化

  多分、お気づきになった方はほとんどいないと思いますが、実はこのブログ、今日からタイトルが変わりました。


  旧:「トラベラーズ ノート まくら木日記」

  新:「トラベラーズ ノート まくら木日記」


  とっても微妙な変化です(苦笑)

  実は本家サイトも、少し前にこっそりと、「トラベラーズ[全角空白]ノート」から「トラベラーズ[半角空白]ノート」に変更しています。全角空白だと、表示されるときに何となく間延びした感じになるので、変更することにしました。今後は基本的に、各ページや項目のタイトルなどについても、単語間のスペースは半角に変えてゆく予定です。

鹿児島の夏

  今月のカレンダー壁紙が、母の故郷・鹿児島ですが、そのつながりで鹿児島の夏景色を紹介します。

  訪れたのは2006年、この1週間ほど前には集中豪雨で、熊本から鹿児島にかけての地域で大きな被害が出ました。出水(いずみ)の市街地でも、川沿いでは水があふれ、まだ片づいていない状況でした。

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  川はこのとおり、すっかりおとなしくなっていましたが、ずいぶんと高い場所にゴミが引っかかっており、ここまで水位が上がったのかと驚かされました。

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  出水から、隣の大口に向かう国道。昔は車酔いしそうな曲がりくねった山道でしたが、今では完全に2車線の走りやすい道に。しかし、ど真ん中で撮影ができるくらいに車がいません(苦笑)。

  近年、梅雨のたびにどこかしらで被害を出すゲリラ豪雨。今年もまた、熊本・鹿児島を中心に大雨となっています。降り方が尋常でないうえに、同じような場所にずっととどまるというやっかいな特徴があり、災害や農作物への影響などが懸念されます。

カレンダー壁紙 2010/7

  2010年も早くも折り返し点。例によって、7月スタートに間に合わなかった7月のカレンダーです。

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  母の実家のある、鹿児島県出水にて。九州新幹線の部分開業に伴って、もとの鹿児島本線が第三セクター「肥薩おれんじ鉄道」に移管されました。(左奥の背後に写っている高架部分が新幹線の線路です。)貨物列車のために電化設備は残していますが、おれんじ鉄道の列車はすべてディーゼル車という変わった鉄道です。夕暮れ時の単行列車を。

  来春には九州新幹線が全通し、この出水へも関西から直行できるようになります。

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