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トラベラーズ ノート まくら木日記

日記・雑記・駅々めぐり。

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  2010年もついに、残り1ヶ月となりました。

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  今回の写真は、以前にこのブログで紹介したことのあるものです→記事。絶妙のタイミングが気に入った作品ですが、当該の記事にも書いたように「粟生線の斜陽化」という皮肉な暗示ともとれます。なにはともあれ、色づいた木の葉が散り果て、季節はいよいよ、寒い冬へと向かって行きます。
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特別展「鉄道と旅と文学と」(5)

  この展示会のテーマは「鉄道と文学」。道路網が発達するまで、鉄道は多くの場合、外の世界へと通じるほぼ唯一の経路であり、人や物が集まり、そして散って行く場でした。そういうわけで、鉄道を中心に据えるわけではなくても、その存在はしばしば、人物の心情や情景の描写に深く関わるものでした。

  有名なところでは、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」があります。この童話を含め、彼の作品には、故郷・岩手での経験が色濃く反映されているようです。

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  このジオラマは、入場券やパンフレットにも載せられていたもので(鉄橋上の列車は違いますが)、岩手のJR釜石線をイメージしたもの。「銀河鉄道の夜」のモチーフとされる釜石線には、「銀河ドリームライン」の愛称が付けられています。

  夏目漱石の有名な小説「坊っちゃん」には、「マッチ箱のような汽車」が登場し、主人公も利用しています。これは愛媛・松山の伊予鉄道がモデル。現在、伊予鉄道では当時の姿を復元した「坊っちゃん列車」が運転されています。

  また、漱石の門下生にあたる芥川龍之介は、「トロッコ」という作品を残しています。

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  トロッコ列車のイメージ。

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  SLの牽く列車が集う、かつての加古川駅のイメージ。奥に置かれているのは「播州平野」(宮本百合子作)。

  それぞれの作品の内容については、文学に造詣のない私が書いても、受け売りの知識にしかならないので、ここでは書きません。興味のある方はぜひ、お調べになってみてください。

  続く

特別展「鉄道と旅と文学と」(4)

  興味深いものとして、北館には、昔のマッチ箱が展示されている一角がありました。

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  ずらり並ぶのは、明治期のマッチラベル。このころマッチは綿製品と並ぶ代表的な輸出品だったそうです。象や獅子など、オリエンタルな雰囲気を醸す柄が多いのが当時の流行か。

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  汽車や電車の柄も。日本製でも外国っぽい雰囲気です。

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  特急「つばめ」。右下に薄い字で「みかど食堂」とあります。調べると、明治期から駅内食堂や食堂車の営業に携わってきた会社のようで、近年まで神戸駅構内に食堂を有していたそうです。

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  上はダイヤ改正と駅売店のPR。1962年とありますが、「タバコやキャラメル」というのが時代ですね。下は特急「はやぶさ」とあり、おそらく食堂車に置かれていたのでしょう。

  自分はタバコを吸うことがないせいもあり、マッチにはとんと縁がありません。今はライターがありますし、そもそも公共の場でタバコを吸うことがタブーとなって、出る幕はほとんどないと思います。マッチが身近な必需品で、その箱が広告媒体になりえた時代。それはなぜか、鉄道が繁栄した時代とも重なる気がします。

  続く

続・神鉄粟生線の窮状(5)

株主にも見切りをつけられた?

  このシリーズの結びとして、現実問題として粟生線にどんな活路があるのか、ということを取り上げてみようと考えていました。しかしどうも、この点でどうにも期待の持てそうにない雰囲気になってきました。

  まず、掲示板で話題にしましたが、神戸電鉄の株価が最近、大幅に下落しています。→日経新聞・神戸新聞株価

  ここ2年ほど、神鉄の株価はおよそ380-400円の間で推移していました。2年グラフで見ると、3,9月頃に値上がりし、その後下がってまた上がるという波形のパターンを繰り返しています。

  その一因として、神鉄の株主優待制度が関係しているようです。→神鉄サイト 3,9月末時点での株式保有数に応じて、優待乗車券などの贈呈を受けられます。例えば、9月末に1万株を保有していれば、12-5月の半年間有効の「優待乗車証」を1枚もらえます。ひと株400円とすれば、400万円を株券に換えておけば、だれかひとりが神鉄に乗り放題できるわけです。通常の運賃が高いだけに、これは大きな旨みです。

  株価の変動の要因はこれだけではないでしょうが、3,9月を頂点に20-30円ほどの動きがあったことからして、その存在の影響は、決して小さなものではなかったと思われます。

  ところが、今年10月以降、その動きに異変が見られます。9月まで380円程度だった株価は下がり続け、10月末に大幅に値を落としました(10月28日の四半期決算が影響したと思われます)。11月からは300円を下回り、今も漸減傾向です。

  これだけの暴落なので、複合的要因があったかと思いますが、やはりひとつには、この9月のタイミングを、株式を手放すきっかけにした株主が、これまでより多かったということでしょう。(粟生線の先行きへの不安が一因だとすれば、存廃問題を煽った神鉄にとっては、皮肉な話です。)普段より下落の幅が大きく、その損失を優待のメリットと天秤に掛け、慌てて売りに走った株主もいたかも知れません。現に、この2ヶ月で株式の値打ちは4分の1減り、1万株持っていた人は100万円近く損をしたことになります。

  上場している「株式会社」である以上、電鉄会社も資本主義の掟を逃れることはできません。単なる利用者や収入の増減よりむしろ、こうしたことのほうが経営に直結することでしょう。「優待」をもってしても株主を引き留められない現状。今回の暴落は、株主から神鉄へのひとつの意思表示といえるかもしれません。

  続く。

特別展「鉄道と旅と文学と」(3)

  続いて、鉄道関係の品々を。

  (なお写真はショーケース越しに撮影しており、ガラスの反射が映り込んでいます。また、室内が暗いため、ブレやピンボケもありますがご了承下さい。)

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  昔、列車の名称や行き先を表示するために使われた「サボ(サイドボード)」です。主に車両の側面につり下げるか、「サボ受け」に差し込むかして使用されました。古くはホーロー製でしたが、後にプラスチック製が主流になりました。もちろん、ネットオークションなどで付けられる値打ちは、ホーロー製のほうが断然高いです。

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  10年くらい前までは、山陽や九州などではまだ普通列車に使用されており、折り返しの列車が両側の扉を開けて、係員がサボを差し替える姿が見られました。(ホーロー時代は、この作業も重くて大変だったことでしょう。)新しい車両ではLEDで表示されるため、こうしたアナログな方法はとられなくなりました。

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  お召し列車(天皇陛下が利用する臨時列車)を牽引するSLに取り付けられていたという紋章。戦前は、運行に当たって粗相のないようにと、相当な厳戒態勢が敷かれていたようです。今も運転されることがあり、原宿に専用の乗降場がありますが、運行に社会的影響が大きいことなどから、頻度は少なくなっているようです。

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  C62蒸気機関車に取り付けられた「つばめ」のプレート。「つばめ」は東海道を走行する特急として歴史が古く、国鉄のシンボル的な存在でした。新幹線の延伸に伴って西へと移り、新幹線博多延伸で消滅。その後JR九州がその名を復活させるにあたり、他のJR各社に事前に了承を得たとされます。現在では九州新幹線列車の愛称。

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  昔の駅弁。陶器の茶瓶も、プラスチック容器のなかった時代ならではです。列車の高速化に伴い、駅弁という文化そのものが廃れてゆきました。

  続く

特別展「鉄道と旅と文学と」(2)

  さて、ここからが本番、北館入りです。

  こちらの展示物ですが、ありがたいことに、一部を除き撮影・WEB等での公開が許可されています。ということで、心おきなく紹介させていただきます。感謝。

  まずは歴史的な品々から。

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  明治5年、新橋~横浜間の開通をもって始まった日本の鉄道の歴史。こちらは姫路文学館所蔵の「新橋ステンション」。表記が時代を感じさせます。この画は浮世絵のような版画によるものと思われ、こうした日本ならではの表現技術も捨てたものではありません。当時において鉄道は、ただの輸送手段ではなく、文明開化のデモンストレーションのような存在でした。

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  「汽車汽船旅行必携」。明治23年。当時における鉄道地図です。東海道本線が鉄道路線として全通したのが、この前年の明治22年。よく見ると、京都が「西京」(「東京」に対するものと思われます)、大阪が「大坂」と表記されています。当時の西の果ては姫路。神戸までが官設鉄道だったのに対し、その先は「山陽鉄道」によって開業しました。

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  「鉄道唱歌」の冊子本です。「汽笛一声新橋を・・」で始まる有名な唱歌は、明治33年に発表。冊子には「地理教育」と銘打たれています。歌に乗せて、日本の地理や歴史、文化について啓発しようという意図があったのでしょう。

  さて、冊子に書かれている楽譜ですが、よく知られているメロディとは異なっています。作曲者は上 眞行(うえ さねみち)。一方、現在一般的になっている鉄道唱歌の作曲者は、多 梅稚(おおの うめわか)です。

  ・鉄道唱歌(上版。楽譜どおりに作成)
  ・鉄道唱歌(多版)
  [注] 音楽再生ソフトが立ち上がり、音が流れます。

  これは、作詞者の大和田建樹が複数の人たちに作曲させ、好きなものを歌ってもらおうという配慮だったそうです。聞き比べてみると、リズミカルな多梅稚版が口ずさみやすく、子どもの教育のためという目的にかない、鉄道のイメージにも合っているように思えます。おそらくそんな理由で、多版が定着し、上版は幻の鉄道唱歌となってしまったわけです。

  続く

特別展「鉄道と旅と文学と」(1)

  明治5年、新橋~横浜間に日本で初めて鉄道が開通しました。
  その後、瞬く間に鉄道は、日本中に張りめぐらされ、単なる移動手段ではなく、あるときは人々の旅情を誘い、あるときは作家の心を動かし、そこから様々な物語や詩、紀行文学などを生み出していきます。
  今回、夏目漱石「三四郎」、芥川龍之介「トロッコ」、宮澤賢治「銀河鉄道の夜」、和辻哲郎「自叙伝の試み」、椎名麟三「美しい女」などに描かれた鉄道を、ジオラマや絵画、写真、鉄道資料などで多角的に紹介するとともに、「鉄道紀行文学」というジャンルを切り開いた内田百、それを大成し、鉄道ブームをおこした宮脇俊三なども紹介します。(中略)
  ぜひ、鉄道と文学のコラボレーションをお楽しみください。

  (案内パンフレットより)


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  姫路城に程近い「姫路文学館」にて、10月から開かれている「特別展『鉄道と旅と文学と』」。ぜひ行きたいと思いつつ最終週を迎えてしまいましたが、きょう、昼から出向いてきました。

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  文学には造詣のない私ですが、紀行作家の宮脇俊三氏の著作はいくつか所有しており、鉄道旅行における着眼点や旅行記の書き方などには、少なからず影響を受けていると感じています。

  そのメインの展示は「北館」のほうで行なわれていますが、そちらは後でじっくり巡るとして、まずは鉄道模型やパネル展示のある「南館」へ向かいます。

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  入り口近くで走っているのは、「Gゲージ」という、比較的大きな模型です。日本では一般的ではありませんが、庭先などで走らせると楽しそうです。

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  Nゲージ(Nine:軌間9mm)のジオラマ。サイズが小さく、しかも精密なので日本では最もポピュラー。私も持っていますが、「箱庭」づくりにはほどよいサイズです。

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  土・休日だけ展示・走行するというHOゲージ。Nゲージより大ぶりなスケールで、場所をとりますが迫力があります。

  「文学」にはあまり関係ありませんが、子どもや鉄道好きなら、まずは楽しめるエリアです。

  続く

ちょっとした?変化

  ご覧のとおり、このブログのトップに「Welcome」という記事が入るようにしました。一応、ブログの「顔」のようなものです。文字だけのタイトルが、ちょっと寂しい気がしていたので・・。

  あとは、鉄道一本の本家サイトに対して、‘なんでもあり’のまくら木日記、という位置づけを明確にしようという意図もあります。

  新着記事を見るために、ちょっとスクロールしなければならないという不便もあるかと思いますが、そこのところはご容赦を・・

  なお、無理矢理トップに表示させるために、記事の投稿日が将来の日付になっていますが、仕様です(笑)。

朝顔の色変化

  先日、庭の琉球朝顔の話題を出しました。朝は青く昼は紫、とのことだったので、実際に時間を変えて撮影してみました。・・が、タイミング的に「朝と昼」ではなく「昼と夕方」になってしまいました。

10時頃
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16時半ごろ
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  確かに変わっているようにも見えます・・が、写真の写りというのは光の加減でも結構変わるので、一概には言えません。

  ただ、これを見る限り、やはり陽が高いときほど色は紫に近くなるようです。こうなると、色素がどうとか、化学的な話になってくると思いますが、このくらいにしておきます(笑)

  ちなみにこの朝顔は、種からではなく挿し木でふやすそうです。

「小さい秋」を撮る

  抜けるような青空に恵まれた今日、暇を見つけて近所でとらえたカット。

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  かの名門ゴルフ場。門前の桜の木はその「顔」だけあって、手入れが行き届いており、春は花、秋は紅葉が見事です。しかし、葉はかなり散ってしまいました。

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  「ジョイフル有馬」のヘッドマークを掲げた電車。いちど、紅葉の有馬を訪ねたいと思いつつ、なかなか叶いません。

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  公園の何気ない風景も、この青空のもとだと映えます。

短縮の歴史

  開業を4ヶ月後に控える九州新幹線。JR西日本は、来たる2月に、九州新幹線直通車両の試乗会を行なうとのこと。→讀賣記事

  タダで新幹線に乗れるチャンス。ということで、ダメもとで応募してみました。激戦になると思いますが、当たればいいなあ・・

  あと、試乗会もいいのですが、それまでに車両の展示会なんてのもやって欲しいものです。姫路駅あたりでできないものでしょうかね。

  九州に両親の実家がある私にとっては、特に母方の鹿児島(出水)方面へは馴染みが深く、今回の全通には感慨深いものがあります。

  昔は、帰省には結構時間がかかっていた記憶があります。現在では「のぞみ」を含めすべての列車が停車する新神戸ですが、国鉄時代には停車駅の多いタイプの「ひかり」しか停車せず、それに乗るか、「こだま」に乗って岡山で速い「ひかり」に乗り換えるしかありませんでした。

■ 例えば、1979年1月の時刻表で、朝一番早いパターンを辿ると

  新神戸6:22[こだま391号]→博多10:46/11:16[特急有明5号]→出水14:42

  朝一番の「こだま」が、途中追いつかれずに博多まで先着するという、今では考えられないようなダイヤでした。

■ これがJR化後の1990年3月(まだ「のぞみ」はない頃)になると

  新神戸6:15[ひかり131号]→博多9:03/9:13[特急有明11号]→出水11:59

  ぎりぎり午前中に着けるようになりました。九州の特急「有明」の所要時間が、40分も短縮されています。

■ そして、現行の2010年3月ダイヤでは

  新神戸6:13[のぞみ601号]→博多8:29/8:37[特急リレーつばめ37号]→新八代10:20/10:23[つばめ37号]→出水10:44

  九州新幹線の新八代以南が開通したことで、乗り換えが余分に要るようになりましたが、ついに約4時間半で着けるようになりました。

  一日仕事だった南九州への旅も、いまやここまで短縮されました。新幹線の全通で、さらに縮むかと思われますが、果たして自分が乗る機会があるのかどうか・・

紅葉と朝顔

  ここしばらくの冷え込みで、一気に紅葉が進行しました。

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  桜の葉が、赤くなりました。桜は綺麗に紅葉すれば鮮やかな紅色になりますが、急な冷え込みでなければ、色が変わる前に葉が落ちてしまうか、汚い色になってしまうので、なかなか良い紅葉には巡り会えません。今年は比較的美しくなりましたが、木全体が、とまではゆきません。ということで、綺麗な部分をアップで。

  ちなみに、これまで写真を撮った中で、最も美しく紅葉したのは、2002年の秋。

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  桜の木全体がこれだけ見事に紅葉したことは、先にも後にもなかったと思います。

  さて、私の家の庭には、こんな花が。

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  11月にもなって、朝顔です。これは「琉球朝顔」というらしく、割と遅い時期(霜がおりるころ)まで咲くようです。しかも朝顔と言いつつ、夕方まで咲いています(笑)。

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  そしてこの花、朝と夕方で色が変わり、ブルーからピンクがかった色へと変化します。今回は昼過ぎの撮影で、比較対象がありませんが、近いうちに朝と夕方で見比べてみたいと思います。

続・神鉄粟生線の窮状(4)

路線の『必要度』と、会社の『信用度』

  先に述べたとおり、事業仕分けに伴い、粟生線活性化事業への国からの補助が打ち切られることになりました。この補助は、国交省の「地域公共交通活性化・再生総合事業」に基づくものでしたが、今後この制度の存続は「各自治体の判断に任せる」とされています。つまり今や、沿線自治体の意向がかなりのウエイトを占めることになったということです。

改築された樫山駅。小野市は鉄道関連に比較的熱心だが・・
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  一方、自治体とて財政に余裕があるわけではないので、支援の必要性がよくよく吟味されるはずです。その判断に、民意が厳しく問われることになります。

  そこで粟生線は、果たしてどんな位置に据えられるのか? ここに、沿線住民の印象の問題が関わってきます。

  粟生線の『必要度』の点からいえば、特にラッシュ時の輸送需要は小さくなく、仮に廃止となれば影響が大きすぎます。自動車移動の増加による道路事情・環境の変化や、沿線の不動産的価値といった間接的な影響も考慮しなければなりません。少なくとも現時点において、何とか路線を維持しなければならないのは確かです。

  一方で、支援をしたとして、それが本当にその目的に資する、意義あるしかたで使われ、将来につながるのか。端的に言えば、支援するに値するのか。ここに、神鉄という事業者への『信用度』が問われます。

  残念ながら、過去の実績からして、この点では厳しい結論が出てしまいます。そこが結局「自業自得」と言われてしまう所以です。これは特定の原因からというより、積もり積もったマイナス評価のツケといえます。

  支援は必要だが、快く支援できないとすれば、そのギャップが今後、問題を一層複雑にするのではないかと思われます。沿線に愛想を尽かされ、協力すら受けられなくなれば、それこそ存廃問題、少なくともジリ貧状態に直結するでしょう。

  従って神戸電鉄が早急に取り組むべきなのは、援助を懇願することよりも、援助に値するとみてもらえるような姿勢を示すことだと考えます。「環境が整い、皆が使ってくれれば立ち直れます。だから皆さんそうしてください」と呼びかけるだけではなく、まず自ら、できる工夫を率先して行なわねば、納得されないでしょう。

  続く

181「はまかぜ」最終日

  11月6日、キハ181系での運転の最終日だった、特急「はまかぜ」。タイミングを逸してこのBLOGで取り上げておらず(掲示板では取り上げましたが)、新型のほうが先になってしまいました(苦笑)

  この日は、この秋にしては珍しく、一日を通して快晴に恵まれました。時間のできた午後から、播但線方面へ。

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  上りの3号。光の向きの都合上、後追いでの撮影です。今年はこの青空が、なかなか出てくれませんでしたが、まさに有終の美。

  七種の滝に足を運んだのち、夕方の上り4号を狙います。人のいない場所をと探した結果、福崎駅の南側、中国自動車道のガード下へ。

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  夕日がうまい具合に照らし、迫力ある画になりました。列車はガード下に轟音を響かせ、去っていきました。

七種の滝

  先日11月6日に、最終日の「はまかぜ」を見に播但線沿線に出かけました。そのさい、下り「3号」と上り「4号」の間に時間があり、せっかく天気がいいのでどうしようかと思っていたところ、福崎町の北西に「七種(なぐさ)の滝」というのがあるのを知り、足を運んでみました。



  JR福崎駅から5kmほど走るとキャンプ場があり、そこからは車1台相当の山道になります。更に2kmほどで・・。

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  「ここから登山道」といわんばかりの古めかしい門が構えます。この先にも車で入って行けそうですが、ここが最終折り返し点という雰囲気なので、ここに車を置いて歩きます。

  悠長にハイキングをしていられるほどの時間はないので、早足で坂を登ります。天気は快晴ながら、谷間なので陽が入らず薄暗い。登山の準備などはしてこなかったので、なかなかに厳しい道中。やめて引き返そうかとも思いましたが、ここまで来て引き下がるのもしゃくなので、ともかく滝までは行ってみようと思います。

  やがて車道が尽き、いよいよ登山道の様相を呈してきます。滝まで残り300m、しかし遠い。

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  道中にあった小さな滝。

  そしてようやく、本体(雄滝)のお出まし。

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  落差72m、兵庫県下八景の名勝。ただし・・

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  水がほとんどない。これじゃ、滝というより絶壁(泣)。

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  ううむ・・時期が悪かったか。

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  展望台から望む。紅葉にもまだ幾分早く、ここまで息を切らして登ってきたわりには、微妙な結果でした。まあ、いい運動にはなったと思います(苦笑) あとはやはり、時間の制約がある状況で、山登りなどするものじゃないな、と。

続・神鉄粟生線の窮状(3)

マイナスイメージの蓄積が孤立無援を招く

  どんな人間関係にもいえることだと思いますが、本当に信頼関係を築いてきたかどうかは、状況が厳しくなったときにはっきりするものです。困った相手を見て、快く助けようと思えるか、そうでないかは、相手のそれまでの行状の善し悪しに左右されます。

  今回、粟生線の問題に関して、弊サイトの掲示板でも幾らかやりとりをさせていただきました。正直、以前と比べても、シビアな意見が多くなったなという印象を受けています。自分の周囲でも、またネットでの情報を見ても、概して無関心であるか、「それは神鉄の自業自得だ」という意見が目に付きます。厳しく言えば、「神鉄は助けるに値しない」ということです。

  私自身、沿線に住み、高校時代の3年間通学に使った立場として、神鉄は沿線からの好感度の面で、かなり厳しいものがあると感じています。それは「高いから」「遅いから」といった理由よりももっと根源的なものです。

  運賃の高さやスピードの遅さは、急峻な勾配やカーブを数多く抱え、輸送が通勤時間帯の片方向に偏っている神戸電鉄にとって、不可避の問題です。これは今に始まったことではなく、今更どうにもならないことで、そのことは沿線住民であれば周知の事実です。沿線人口が急激に増えたために設備の強化を急がねばならず、その投資分の負担がのしかかっているというのも、理解できないことではありません。

  先回挙げた資料を見ても、神鉄は、問題の原因をこれらの要因で説明しようとしています。しかし本当の核心はそこではない、と私は考えます。むしろ、そうしたやむない要因を言い訳にして、工夫のない殿様商売をしてきた-少なくとも、そういう印象を与えてきた-点にあるのではないかと思うのです。

  弊サイト掲示板にも書いた話ですが、私の父は神鉄沿線に来てから数年間、神鉄を使って通勤をしていました。それまでは阪神沿線でしたから、比べるのは酷だったかもしれませんが、無駄の多さや、社員のモラルの低さなど、会社としてのレベルの低さが、いろいろと目に付いていたようです。

1985年ごろの志染駅にて
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  そうなると必然的に「我々の払う高い運賃が、無駄遣いされている」「不便な上に、この程度のサービスか」となるわけです。父も、自動車の免許を取ると、早々に神鉄の利用をやめてしまいました。(当時、電車通勤の定期代は全額出ていましたが、車の場合のガソリン代は一部自腹でした。にもかかわらず。)

  90年代後半以降、利用者が減り出すと、ようやく神鉄も合理化に手を付けるようになりましたが、これも後手後手。利用者のためというより、必要に迫られて仕方なくやっているというイメージを与えます。さらに、そうやってサービスを低下させるなら、「怠慢経営のツケを利用者に払わせている」という悪印象を与えることになります。

無人化、自動改札化された改札口
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  そこへきて、道路網の充実に伴う路線バスの進出。沿線利用者の多くがバスに流れたのは、それまでほぼ神鉄一択だった利用者の、神鉄に対する積年の不満の受け皿になったという面が大きいと思います。

  そして現在。粟生線の利用はピーク期の半分以下となり、神戸電鉄は「このままでは、最悪廃止も考えねばならない」と主張します。しかし先に述べたとおり、粟生線を廃止するのは、現実問題難しいことです。神鉄は危機感を煽っているつもりかもしれませんが、周りからすれば、「廃止をちらつかせて援助を引き出すつもりか」となります。

  つまり、これも人間関係の定理ですが、いちど悪印象がついてしまうと、何を言っても、何をしても善意には解釈してもらえない、ということです。神鉄側にも諸々の言い分はあるかと思いますが、こうした長年のマイナスイメージの蓄積が、神鉄の孤立無援状態を招いているのではないでしょうか。

  そしてこのことが、今後一層重大な意味を帯びてきます。

  続く

続・神鉄粟生線の窮状(2)

「古き良き時代」にしがみつく神鉄

  昨年、「粟生線活性化協議会」が立ち上げられ、自治体を含めての活性化への取り組みが、ようやく動き出しました。→神戸電鉄「粟生線活性化協議会」ページ

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  この動きそのものは、評価できるものです。現在の交通事情の問題は、いち企業の自助努力だけではなかなか力及ばぬ大きなうねりであり、関係する各所が明確な方針なり計画を持って統一的に動かなければ、成果を上げることはできません。政府や自治体を含め、どこにも余力のない今の状況であれば、なおさらです。

  そうだからこそ、事業者である神戸電鉄の責任は重くなります。周囲が何を期待して支援しているのか、そこをくみとって動かなければ、愛想を尽かされ、見放されることでしょう。言い換えれば、支援を受ける以上、神鉄はその立場をわきまえなければならない、ということになります。チャンスはそう多くは残っていません。

  「神戸電鉄粟生線 地域公共交通総合連携計画」(神戸電鉄サイト内、PDF。62ページあります)

  この中に、現状の分析と、とりうる対策がまとめられています。書かれていることは概ねその通りで、こうした具体的な戦略を持つようになったこと自体、(遅まきながら)前進といえるでしょう。

  しかし、当の神鉄の姿勢には、疑問を覚える部分があります。

  http://www.shintetsu.co.jp/aosen_kasseika/material/img/21-2/08.pdf

  ここに示されるデータそのものは目新しいものではありませんが、この11,12ページには、神鉄が編成の短縮やクロスシート車導入をしない理由が書かれています。

  かいつまんで内容を示すと、

  車両の短編成化:神鉄の車両は勾配への安全対策上特殊な構造となり、1両編成は不可。2両編成は新車なら可能だが、3両編成の2連化は中間車を廃車するロスが生じる。既存2連車(1300系)の改造は、車両の経年やコストの問題で割に合わない。

  クロスシート:定員が減る、車両が小さいため難しい。


  一見、もっともな理由付けに思えます。しかし・・

  短編成化については、それならなぜ、新車である6000系を2両運転対応ではなく、4両固定で製造したのか。2連で造っておけば、ラッシュ時には2+2の4連、閑散区間では2連といった融通を利かせることができたでしょう。(JRも、播但線や加古川線ではそうした運用を行なっています。)2008年製の6001Fはまだしも、今年デビューの6003Fについては? 末永く使う新車にこそ、そういう先見が必要だったはずです。

  既存車の改造についても、現状の置き換えペースではどのみち、いつか車両の延命は行なわなければならず、要は やる気の問題です。

  長距離利用者向けの速達列車の設定が難しいなら、せめてその間のプライバシーがある程度守られるクロスシートは、ぜひとも導入してほしいところ。なにも全車両そうする必要はなく、阪神などが行なっているように編成に混在させることも可能なはずです。神鉄の場合は新開地側が混雑するので、三田/粟生寄りの車両をクロスにするという手もあるでしょう。そうすれば遠近の住み分けが図られ、バスへの対抗策ともなります。

  しかし神鉄の見解を見るに、どうもその気もなさそうです。現に乗客が減っているのに「定員が減るから」という弁解は、滑稽に映ります。

  私としては、短編成化やクロスシート導入に踏み切れるかどうかが、「縮める勇気」の表われになるとみています。それだけに、神戸電鉄側のこの見解には失望しましたし、現状認識の甘さだなと感じるところです。

  こうした姿勢を見るに、神鉄はどうも、未だに「古き良き時代」を懐かしんでいるように思えてなりません。頼まずとも超満員の通勤・通学客が乗ってくれた、80年代-90年代初頭の全盛期を。それゆえ、「また乗客が増えるときが来るかも知れない」という、根拠なき楽観がどこかにあるのかもしれません。

  今、4両編成のロングシート車が所構わず漫然と走り、空気を運んでいる姿は、利用者の目にはどう映るでしょうか。「こんなに客が少ないのに、頑張って15分おきに走ってくれている」と思ってもらえるか、それとも「この空っぽの電車を走らせるための電気代が、高い運賃に含まれているのか」と見なされるか。

  もちろん、減便や編成短縮といったマイナス方向への転換には、かなりの勇気と技術が求められます。しかし今の状況が、利用者の便宜のためというより、会社側のプライド、もしくは面倒事をしたくないという怠慢さによって存在しているのだとすれば、それを維持するために支援してほしいと言われても、誰も納得はしないでしょう。

  このたびの、国交省の事業仕分けに基づく支援打ち切りは、見方によっては、そのあたりを見透かされた結果だったといえるかもしれません。

  神鉄の2番目の問題点、それは今回挙げた事柄とも関連しますが、神戸電鉄という会社が、沿線から良いイメージで見られていないというところです。これこそ最大にして最も根の深い問題だと思います。この点は次回。

  続く

続・神鉄粟生線の窮状(1)

  神戸電鉄のことを書きます。今回は、いささか厳しい内容になります。

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  約1年前、このブログで、粟生線の窮状について一連の特集をしました。→「神鉄粟生線の窮状(1)」(全6回)利用者はピーク期の半数以下、年間10億以上の赤字を計上する状況で経営危機が叫ばれ、「活性化協議会」が立ち上げられるなど、取り組みがなされてきました。

  しかし、今話題の事業仕分けの中で出た結論が、こちら。→神戸新聞記事。以下抜粋。

『神鉄粟生線活性化事業 事業仕分けで補助打ち切り』

  国による地域公共交通支援の現行制度が来年度から廃止されることが決まり、「神戸電鉄粟生線活性化協議会」が進める同線存続策への補助が2011年度で打ち切られることが9日、分かった。

  3カ年で計約4億円の事業が認定され、うち約2億円の国庫補助が予定されていた。…昨年11月の事業仕分けで、同制度は「(長期的には地方に財源を移し)存続は各自治体の判断に任せる」とされ、今年6月、国交省でも「いったん廃止」と結論付けられた。

  協議会は本年度に計約7千万円規模の事業を実施。11,12年度で計3億超の事業を予定していたが、見直しを迫られそうだ。神鉄の三津澤修鉄道事業本部長は「補助の廃止で経営の頼みの綱がなくなる」と話した。


  国交省は、支援はコミュニティバスなどの「最終手段」に対象を絞り、それ以外の交通機関については、自治体が必要と思うならばそちらで援助してね、ということになりそうです。

  最近では、明石海峡の「たこフェリー」が休業に追い込まれる(記事)など、情勢の変化が交通機関の淘汰を推し進めている状況があります。たこフェリーについては、結局はジェノバ社が株式を引き継ぎ、来春に再開できる見込みとなりました。→讀賣記事 (ただし、船を売却してしまったため、代替船の確保などの課題があります)。しかしこの出来事を見ても、経営の傾いた交通機関を、自治体レベルで支援することがいかに難しいかが察せられます。

  さて、神戸電鉄。事業本部長のコメントから、当て込んでいた補助金の見込みが断たれ、頭を抱える様子が見て取れますが、それを「経営の頼みの綱」とみなしていたというのには、いささかズレを感じざるを得ません。そもそも年10億単位の赤字を出す中で、数億の補助がどの程度の意味を持ったか? ただの損失補填ではなく、本当に活きた投資にできたというのか?

  ただ、利用が半減したとはいえ、まだそれなりに需要の単位が大きいところに不幸があります。仮にバスなど、他の機関に振り替えるとなると、その影響が大きすぎます。また、沿線の成長期に複線化や車両増強などを行ない、その投資分を回収できないままにここまで来てしまったことで、引くに引けない面もあるでしょう。ここに、問題の難しさがあります。

  私としては、2つの面で、今の神鉄の問題点を取り上げてみたいと思います。

  1つは、前の窮状シリーズの最後で挙げた、「レベルを落とす勇気と技術」という面です。

  続く

アメリカ風の紅葉?

  近所の三木山森林公園にて。

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  見事に赤く色づいているのは、「アメリカフウ(モミジバフウ:紅葉楓)」

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  その名の通りアメリカ原産。葉はカエデに似ていますが、種としては別物らしい。ただし「楓」の字はもともと「フウ」を指すとのこと。ややこしい。

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  右側の空を飛行機が飛んでいます。拡大しなければ判りませんが。

  ここへきて比較的朝晩の冷え込みがあり、紅葉が進んできました。ただし、当初言われていた「この秋は紅葉が綺麗」という予報どおりかといえば、「?」のつくところです。やはり、あの猛烈な暑さで、木々も疲弊しているのではないかと思われます。

うぅむ・・

  私事ですが、姪が1歳になりました。もう1年か、という感慨深さと、自分がそのぶん1つ歳をとっているという現実に、複雑な心境になっている今日この日です。子どもの成長は目覚ましいものなので、これからは自分の年齢というより、こういうかたちで歳月の流れを感じてゆくようになるのかもしれません。

  さて、秋らしく朝は冷え込む日が多くなってきました。そのぶん紅葉も進み、これからの風景に期待が持てます。ここ2年ほどは、たつの市の竜野公園に紅葉を見に行くのが、晩秋(11月下旬頃)のパターンになっていますが、今年はそのチャンスがあるかどうか。

新幹線ウオッチング

  今日は明石で時間をつぶさねばならない用事があり、これ幸いと(?)西明石駅へ行ってきました。

  西明石駅といえば、私がよく新幹線ウオッチングをする場所。・・と言いつつ、訪ねるのは2月以来のご無沙汰です。0系全廃(2008年)前には足繁く通ったものですが。

  まずは在来線ホームで、昨日デビューしたばかりの、新型「はまかぜ」をキャッチ。

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  実物を見るのは初めてですが、やはり「サイボーグはまかぜ」という感じ。ドッドッドッと地鳴りを響かせるような走りだった先代と比べると、軽快な足取りでした。

  それから新幹線ホームへ。しかし・・

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  上2枚は、リサイズ以外無修正。フレーミングが悲惨なことになっています。特に上(500系)は、停車前でスピードが出ているわけでもないのに、目測を誤って失敗。もともと大した技術がない中で、8ヶ月のブランクはやはり響く。

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  500系の上りの「こだま」。停まったところを無難に押さえておきます。

  そして、その後入ってきた下り「こだま」。

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  うまい具合に、伝統の青白塗装の100系が来てくれました。

  0系ともども、グレー基調に塗り替えられて複雑な心境でしたが、引退まで1年半弱、最後まで残る3本が元のカラーに戻されることになりました。とはいえ、今のダイヤで西明石に100系が来る機会は多くなく、今回も滞在中1回きりのチャンス。良い巡り合わせでした。やはりこの色こそ、私にとっての新幹線。

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  N700系「のぞみ」に抜かれる100系「こだま」。現時点での、最新型と最古参の組み合わせです。

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  さて、あとどれほど、100系にお目にかかれるチャンスがあるか・・・

コスモスの花

  今週後半になって、やっと秋らしい晴天に恵まれるようになりました。待ってましたという気分です。

  9月~10月の間は、「晴れ」と言いつつすぐに薄雲がかかり、出かけても残念な結果になるばかりでした。クリアな晴天と薄曇りでは、写真の写り映えが全然違います。特に日が短く弱くなってくるこの季節、すっきり晴れていれば、夕日も様になりますが、曇天ではすぐに薄暗くなるだけで、話になりません。ここ数日の晴天でも、欲を言えば、まだすっきりクリアという域には達していませんが、だいぶんましになったというところです。

  そんな晴天下で撮影した、近所のコスモスの花。

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  少し前から、通りがかりに目をつけていたところですが、近づいて見ると、咲き終わってしぼんだ花も目立ちます。(できるだけ入らないように撮影していますが。)今週は個人的に忙しく、天候と自身の都合が合致したこのタイミングで、なんとか間に合ったかなというところです。

駅#090 鎧駅

よろい:JR山陰本線

  山陰本線で香住を出て、浜坂方面へ向かうと、高さ40m超の余部橋梁に向け、トンネルを出入りしながら登りの一途となります。この区間は、出入りの激しい海岸から切り立つ崖がそそり立つ「リアス式海岸」の特色が強く、線路敷設の苦労が偲ばれます。

  その途上にあるのが、鎧駅です。

鎧駅舎(10.10.18)
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  無人の駅舎はコンクリート製のシンプルな建築。駅は高台に位置し、駅前には数件の民家が密集していますが、集落そのものは、駅から東側へ下った谷間の入り江に向けて続いています。

  鎧駅には向かい合う2本のホームがあり、駅舎が建つのは内陸側の2番線、その向かいが1番線。ホームは地下道でつながっています。この駅の特徴は、この1番ホームの側にあります。

1番ホームから海を望む(10.10.18)
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  そのホームは展望台のようになっており、日本海と、鎧集落の入り江を望むことができます。

雪の積み上がったホーム(05.12.26)
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  この外海は奇岩の連なる「香住海岸」、その中に「鎧の袖」とよばれるものがあるようです。遊覧船に乗らなければ、その実物を見ることはできませんが、「鎧」の駅名もそこから来ているのでしょう。

「釣鐘洞門」の案内石碑(10.10.18)
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  ホームには、年季の入った石碑が。「餘部村」が立てたもので「天然記念物 釣鐘洞門 西北海上三十町」(30町=約3.3km)とあります。釣鐘洞門は余部埼灯台のある場所に近く、今の最寄りは餘部駅となりますが、おそらくこの石碑が立ったのは、餘部駅開業(1959年)前のことでしょう。餘部駅ができる前、余部集落の人々が列車を使うときには、橋梁とトンネルを通って鎧駅まで歩くという、今では考えられないようなことをしていたようです。

荒れた様子が遠目にも判る冬の日本海(08.12.31)
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  このとおり冬の日本海は荒海で、波打つ轟音が谷間に響きます。

入り江の漁村(08.12.31)
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  外海から防波堤で仕切られた入り江。そこに身を寄せ合うかのように民家が並びます。恐らく皆が、漁業で生計を立ててきたのでしょう。鉄道や道路ができるまでは、ほぼ陸の孤島だったと思われます。山陰海岸には、こうした大小の漁村が点在します。

  さて、鎧駅はホームが2本あるとおり、もともと入れ違い可能な駅でした。私が初めてこの駅で下車した2004年には、下りが2番線、上りが1番線を使用し、完全に区別されていました。ところが、列車が減少し、合理化のためと思われますが、JRはこの駅の交換設備を使うのをやめてしまいました。2008年に訪れた時点で、上り下りとも2番線(駅舎側)からの発着となっていました。

  そして先日。見ると、1番線の線路には枕木の車止めが置かれており、線路の撤去にこそ至っていないものの、完全に閉鎖された状態になっていました。

香住から坂を登り、鎧駅を通過する特急「はまかぜ」(04.5.3)
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  2004年、左側の1番線がまだ生きていた時。

餘部方面に向けて、トンネルに入って行く「はまかぜ」(10.10.18)
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  そして今年。使われなくなった1番線には枕木が載せられ、レールは赤く錆びています。

  このように山陰本線の盛衰を物語る鎧駅ですが、1番ホームには今も、地下道を介して出入りできるようになっています。

海とお別れ

  余部埼灯台の見物を終えて、時刻は2時半前。しかし日が陰っているぶん、もう夕方の雰囲気になってきました。もうそろそろ帰路につかなければなりません。

  そのまま来た道を戻ればよいのですが、地図を見れば、海岸沿いを通って浜坂方面へ抜けることができるようなので、そちらを回ってみます。

  相変わらず、人里離れた絶壁を這って進むような道路。リアス式の凹凸の海岸線に従い、出たり入ったりを繰り返します。こちらは滅多に通行がないらしく、荒れた道になっています。

  香住から浜坂にかけての海岸は、「但馬御火浦」と呼ばれる景勝地となっており、浜坂からは遊覧船も出ています。あいにく海岸線は霞んでしまっていますが、時折その様子が見下ろされます。

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  枯れ枝を引きずったり、ソフトボールほどの大きさの落石をタイヤで轢いたりと、車にとっては酷な道で、途中出会う車は一台もなし。こんなところで何かあったら大変なことですが、なかなか先が見えてこない。延々と走り続けてようやく「三尾(みお)」という入り江の小さな集落に出てきました。地図ソフトの計測で約7km、20分ほどの行程でしたが、うんと長く感じられました。

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  この海の色。まさしく日本海。

  集落の背後は高い山。ここからは浜坂に向けて山越えとなり、今でこそトンネルが貫通していますが、これがないうちは事実上、船でしか外界との行き来はできなかったことでしょう。御崎集落に劣らぬ秘境です。

  ここから日本海に背を向け、これをもって今回の山陰海岸巡りは終わりです。

最高の灯台

  余部まで来たので、以前家族で訪ねたことのある余部埼(御崎)灯台まで足をのばすことにします。

  余部集落から北西に、海岸沿いを進む狭い道があります。絶壁を這うように、しだいに高度を上げながら進みます。ひたすら一本道で、途中には民家など全くありませんが、しばらく進むと突如集落が出現します。(地図ソフトでの計測上は3km強ですが、かなり長く感じられました。)

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  海を見渡す高台に位置する御崎集落。ここまで町民バスがやってくるようです。おそらくマイクロバスタイプの車だと思いますが・・

  この集落は平家の落人が隠れ住んだという伝説の地で、そのことに妙に納得してしまうほど辺鄙な場所。それにしても、よくぞこの現代にまで住み続けたなと思えます。

  ここからさらに1.5kmほど、うねうねと山道を登り、ついに灯台にたどり着きます。

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  柔らかな日を浴びる真っ白な灯台。併設の看板では「余部埼灯台」という表記になっています。灯火は海抜284mで、日本で最高地点にある灯台です(※)。

  ※ 建物としては、北海道の「茂津多岬灯台」が最高。灯火標高は282mで、余部埼灯台ができて2位になりましたが、後に屋根を改築し、塔頂までの高さで1位になったとのこと。

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  灯台の高台から東側を見渡す。残念ながらくっきりとはしていませんが、香住海岸が望まれます。正面がおそらく香住沖の白石島、だとするとその向こうあたりが、さきほど立ち寄った大引の鼻にあたります。